(この記事の動画版は、コチラ)
京都の南丹市で小学生の男の子がいなくなり、警察官など1000人以上で3週間以上も捜索するという事件が起きた。
そして、ついに父親が事件への関与を認める供述を始めた。
逮捕されたのは、安達優季・容疑者(37)。
息子の結希さん(11)の遺体を遺棄した疑いがもたれていて、逮捕前の任意の調べに対して「衝動的に首を絞めて殺してしまった」と供述した。
この事件については、既に1本の動画を公開したが、そこで語った「子どもを守る仕組み」について、さらに深めてみたい。
今回の事件のように、親が加害者の場合、子どもが被害を避けるのは、きわめて困難だ。
親を不安に感じたり、敵視してしまえば、子どもにとっては、帰る家がなくなったり、食事にありつけなかったり、学校へ行くことすら安心してできなくなるなど、暮らしが成り立たなくなるため、事実上、生きていけなくなってしまう。
大人であれば、育てにくい子どもとの距離をとることもできる。
里子に出したり、児童相談所の一時保護施設や民間の養護施設に子どもを預けたり、金があるなら息抜きに旅行に出かけることもできる。
しかし、子どもの方は、自分を育てる親を変えたり、自分の希望する大人を指名したり、親権者を増やしたりする権利がない。
親はいつでも子どもをよその家に預けられるが、子どもには親を家から追い出す権利が法律上、認められていないのだ。
親子間では、親の方が圧倒的に立場も権力も経済力も上なので、子どもは生きていくために、どんなに理不尽な内容でも、親の言い分に従わざるを得ない。
だから、子どもは親から平気でなじられるし、勝手にボディタッチされるし、従わないと「飯抜きだぞ」と罰を与えられたり、最悪の場合、命を奪われることもある。
実際、日本では毎日1人の子どもが、親による虐待で殺されている。
毎日起きている事件なのだから、子どもが親から命を奪われるのは、珍しいことではないのだ。
親が子どもを自分の望む奴隷のように扱っていることに無自覚だったり、子どもの方も自分が奴隷扱いされていることに鈍感だったりするのは、法律が親子関係を平等なものにしなかったからだ。
つい先月まで、日本の子どもは、親の所有物であり、奴隷だった。
およそ120年ぶりの民法改正によって、18歳未満の子どもが親に従う義務が法律の文面から消えた。
2026年4月からは、親に従う義務がなくなったのだ。
それでも、そのことを子どもは義務教育ですら教えられていないので、知らない。
それどころか、子どもの命を奪っているのが、統計的に親であること、とくに父親であることも知らない。
警察庁によると、令和5年(2023年)の児童虐待の加害者については、「父」(50.5%)、「母」(27.5%)が多くを占める。
しかし、こんな大事なことは、学校で教える必要があるのではないか?
ちょっと古い統計だが、警察庁の「犯罪白書(2020年版)」によると、虐待に関わる犯罪で検挙された人数は、2019年に2024人。
犯罪で検挙された数では、父親等が母親等の2.5倍多いのだ。
大人は、自分にとって不都合なことを子どもに教えたがらない。
しかし、現代の子どもは、スマホでネット検索をしているうちに、遅かれ早かれ、自分と一緒に家にいる親こそが自分に危害を与える存在であることを、警察庁の公式統計で知ってしまう。
そんな時代である今日、子どもが自分の身を守るには、法律を整備する必要がある。
京都の男児失踪事件の場合、学校の防犯カメラは校舎の出入り口にしかなかったようだ。
もし校門前に防犯カメラがあったなら、小学生を乗せた車の助手席に父親の姿も撮影・記録できていたはずだ。
自宅から校舎まで9キロの距離があるため、日頃は母親が車に息子を乗せて送り迎えをしていた、という報道もあった。
失踪した日だけは、父親が息子を乗せたそうだが、そうした日常の異変を学校が察知する必要があったのではないか?
ここで、縦割り行政の問題が浮上する。
学校は教育上の役所で、管轄は文部科学省になる。
学校の外や家庭の事情については、児童福祉の役所を頼ることになり、管轄は厚生労働省になる。
もし小学生の両親の間にDVなどの問題が起こっているなら、管轄は内閣府になる。
刑事事件が起きたなら、管轄は警察庁になり、その後の裁判は法務省になり、海外の国が関係していれば外務省も管轄せざるを得なくなる。
このように管轄する役所がバラバラでは、被害に遭う子どもが解決を求めても、満足できる結果は得られないだろう。
そこで、子どもの苦しんでいる問題を一元的に解決する責任を取る役所が必要になり、こども家庭庁という役所が新しく作られたのだ。
しかし、こども家庭庁の責任を問う記者会見は開かれず、担当大臣もコメントしない。
これは、おかしなことではないか?
あなたが子どもだったとしよう。
もし自分の親が精神的にあまりに不安定で、衝動的に小さい体の自分の首を締めあげてきたら、逃げられると思う?
あるいは、まだ危害を加えられていないけど、遅かれ早かれ子どもの自分に危害を加えそうな、信頼のおけない親だったら、友人の家に駆けこんで、そこに住むことができるだろうか?
事実上、できない。
子どもの居場所を決める権利を持っているので、子ども自身でなく、親だからだ。
親が「先生に従え」と命じれば、先生の指導で安全ではない船に乗せられることもあれば、大地震が来ても逃げずに教室にとどまらされて亡くなることもある。
子どもの命は、常に大人が握っており、子どもは自分の意思決定で自分の命を守っていいんだと教えられていない。
これは、おかしなことではないか?
もはや子どもは親の奴隷ではなくなったのに、学校でそれを教えないのは、人権教育上、問題だ。
せっかく、こども家庭庁を作ったのだから、学校が教育上できなかった児童福祉の領域を一部請け負うことができるようになってもいいはずだ。
家庭に居場所がない子どもをの気持ちを早めに気づける場所は、日常的に通う学校だろう。
学校が子どもを守るためにできることを、教育ではなく、福祉の点で問い直してみよう。
たとえば、次のようなことを提案したい。
●子どもに対する盗撮や痴漢など、教師が子どもを性的に害する事件が起きている以上、児童・生徒から被害報告をメールで受け付けるなどの連絡窓口を校内に設ける
●子育てや家庭の事情などに不安を感じる親には、市役所や児童相談所の子育て相談を案内できることをわかりやすく伝えると同時に、相談しやすいように、相談を受け付ける側に子育てに悩み苦しんだ当事者を雇い入れる
●そもそも、子どもが家の外で身を守る権利が法律に明記されず、親の許していない場所にかくまった人が誘拐罪で逮捕されるのが現行法の問題。
だから、子どもは身の安全を得るためなら、適切な場所で保護される権利を持つ、と法律に明記してほしい
●18歳未満の子どもが被害に遭った事件では、加害者が大人が被害者の場合の10倍以上の期間、刑務所で暮らすことになるような重罪にする。
他にも、子どもが親から身を守るために変えるべき法律やルール、習慣はある。
あなたにも、「こうだったら子どもを守りやすくなる」といったアイデアを考えてほしい。
【関連ブログ記事】


