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親や教師に教えられたことを鵜吞みにして、転落の人生へと身を投げてしまう人が増えているようだ。
まず、富裕層が資産を守るために情報提供している「THR GOLD ONLINE」の記事を読んでみたい。
この記事では、働かない息子と縁を切って、自分の老後の生活を守れと読者に伝えている。
高学歴の子どもでも、それによって幸せを感じられない子どもなら損切りせよ、というわけだ。
円安や物価高が長く続く日本では、実質賃金が下がってしまうため、偏差値70以上の大卒者でも、雇われて働いているだけでは、幸せを感じにくく、働き甲斐が感じにくい時代なのだ。
こうした時代の変化についていけない親は、今でも高度経済成長やバブル時代が続いているかのように「がんばって高学歴サラリーマンになれば、高い年収を安定的にもらえる」と信じている。
しかも、日本社会には、はっきりと子ども差別があるため、そもそも親は自分が報われた社会ではなくなっている現実を見ようとはしない。
子どもの言い分を聞くという姿勢が、そもそも子育ての間にないからだ。
子どものために、今という時代の生きづらさや雇われにくさを調べようともしない親がふつうに大勢いるわけだ。
だから、毒親でない親がいることの方が、新聞記事で扱われる。
2年前の2024年7月の朝日新聞の記事を読んでみよう。
「ひきこもり35年の息子が変わり始めた 自分を責めた母が出した勇気」というタイトルだ。
この記事では、親が変わることでひきこもりの子どもが変わり始めたことを伝えている。
もっとも、親の考えを子ども側が変えようとしても、残念ながらほとんど無理だろう。
親を含めて自分以外の誰かの頭にこびりついた古い考えを変えるのは、至難の業だからだ。
古い考えの親だと思ったら、心の中で縁を切って、物理的な距離をとって生き直す方がいいだろう。
そんな親の老後まで面倒見る必要はないし、親族であろうとも、子どもの幸せに責任を持つつもりのない親に期待するだけバカを見るだけだ。
それに、自分以外の誰かの考えを変えるより、自分の考えを変える方がはるかに簡単だ。
親や先生に言われて、彼らにとっての「都合の良い子」として勉強をがんばって、偏差値70以上の大学に入って、高学歴層と呼ばれるようになっても、時代や社会は常に変わり続けている。
当然ながら、高い年収が保証されるわけではないし、ましてや必ず幸せになれるわけでもない。
そもそも、自分にとって幸せとは何か?
正社員になる前に、自分の人生にふつうらしさばかりを求めていれば、就職後に不満や不安が出てくるのは、当然だろう。
たとえば、「うちの会社は年収は良いけど、誰かを幸せにしている実感のない仕事だな」と感じ、むなしい思いで毎日通勤してる人もいる。
他にも、「うちの職場は有名企業だけど、自分がしたい仕事とは違うし、他の誰かにいつでも取って換えられてしまうような業務内容だな」と不満を覚えて、退職や転職を考えている若者もいるだろう。
ここで、根本的な問いかけをしてみたい。
それは、学校とはそもそも誰のためにあるのか、という問いだ。
はっきり答えよう。
社会のためだ。個人のためではない。
学力が優秀な人材は官僚や大企業で頭を使わせて働かせ、学力で劣る人間は肉体労働で安月給で雇われる職場に配置する。
学力で選別することで、人が嫌がる仕事でも、その仕事が無ければ社会が回らない職場に人材を配置するのだ。
それが、学校が個人ではなく、社会のために存在しているという意味だ。
だから、学校で成績優秀であっても、頭脳労働を毎日やらされるのはイヤだという人は出てくるし、勉強ができなくても肉体労働はイヤだと思って退職する人も出てくる。
そもそも、役所や会社で正社員として働く人は、常に取り換えが効く人材でなければ、組織の持続可能性を担保できない。
だから、自分個人の目的がなく、ユニークな発想ができない没個性の人こそが、正規雇用のサラリーマンに向いている。
そうした事情から、日本の学校は、小学校から高校まで基本的に個性を大事にせず、それどころか、生徒がみんな同じデザインの制服を着て、みんなが同じ学力基準で序列化させられる。
多様な価値観で判断されることがなく、なるだけ「みんなと一緒」が良いとされたまま、社会に出されてしまう。
だから、「みんなと同じように」正社員として雇われていなければ、それだけでダメ人間扱いをしたり、自分でも「正社員でなければ負け組だ、怖い!」と感じ、納得のいかない仕事でも安月給でも「仕方ない」とガマンする。
でも、ガマンが美徳であるかのように勘違いする国民が多数派の国家は、尊厳を失った奴隷の国だ。
お互いの顔を見合ってガマンし合う国より、助け合って連帯し合う国の方が生きやすい。
日本はそのように「助け合い」の国に変わるタイミングだと思うし、そのためには自分の仕事が誰を幸せにしているのかを考えることが必要だろう。
正社員で雇われていても、幸せになっているのは自分だけで、仕事を通じて幸せになるはずの人を幸せにしていないとしたら、仕事内容を疑ってみてほしいのだ。
自分の仕事が、自分の大事な人を幸せにしていないと思ったら、働き方を含めて問い直してみよう。
世の中には、雇われて働く人もいれば、雇われずに自分のしたい仕事を自分で作って働く人もいる。
雇われて働くのが向いていない人は、勤務先をやめることで自分を責めないでほしい。
自分にしかできない仕事、自分しか知らない痛み、自分だけが経験したことなど、自分の人生に起きたことのすべては、自分で考える以上に誰かにとって価値あることだと気づいてほしい。
それは、親や教師が教えることができないあなただけの財産であり、自分らしい仕事を作る材料なんだ。
他人から見れば失敗に映ることでも、価値あることは多い。
引きこもりを3年やった人から見れば、引きこもりを30年も続けられた人はヒーローかもしれない。
あなたにとって、他の人が経験していなさそうな「失敗」や「負け組エピソード」は何?
