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高市政権になってから、デモ、とくに反戦デモが全国各地で盛んになってきた。
そこで、デモという活動に懐疑的な声を上げる人も出てきた。
女性雑誌「女性自身」4月17日の記事を読んでみよう。
次に、女性雑誌「FRAU」4月19日の記事を読んでみよう。
さて、この2つの女性雑誌の記事をふまえて、反戦デモとは何かを考えてみたい。
もし、誰も反戦デモをしないなら、世論は時の政府の方針に不満や不安がないか、あるいは不満や不安があっても、その本音を表に出せないほど表現の自由がないことになる。
現在の日本では、政府や自民党に対する不満や不安、批判やバッシングなどを人前で叫んでも、逮捕されることはない。
その程度の「表現の自由」は確保されている状態に、国民の多くが満足しているのだ。
しかし、国際NGO「国境なき記者団」が毎年発表している通称「世界報道の自由度ランキング」では2025年、180国の中で日本は66位で、G7では最下位だった。
(ちなみに、台湾は28位、韓国は47位と、いずれも日本より上位に位置している)
制度としては報道の自由が保障されているのに、実際には、ジャーナリストの本来の役割である「権力の監視」を十分に果たせていないと評価されいるのだ。
その背景には、複数の要因がある。
●社会的な慣習や伝統
●スポンサーや広告主とメディアの関係による経済的な利害
●政治的な圧力、ジェンダー不平等といった構造的、文化的要因
新聞社やテレビ局で雇われているジャーナリストが、報道の自由を自粛してしまえば、国民はイベントやインターネットなどの公共空間で「表現の自由」を行使して、真実を伝えるしかない。
先の大戦、太平洋戦争(あるいは第2次世界大戦)でも、新聞やラジオなどマスメディアで働く記者たちは、時の政府を批判せずに戦意高揚に加担していた。
80年前の当時から、マスメディアは時の政府の味方だったのだ。
新聞やテレビなどの影響力の大きいマスメディアが、戦争に加担することを許さない強い態度を示してきたなら、自民党が憲法改正を望んでも有権者の支持を得られない空気が作られていただろう。
しかし、新聞やテレビは「中立」を気取って、外交努力の成果を問うことなく、軍事費の増大や軍事品の輸出などを進める政府のありようを行儀よく報道してきた。
その結果、マスメディアの報道内容からきな臭さを感じ取った人々は、都市部での反戦デモの開催を動機づけられてきたのだろう。
もっとも、デモというのは、毎週末くり返せば、何かが変わるというものではないし、日常の光景になれば、珍しくもないので、取材する価値が薄まってしまう。
そこで、考えてほしい。
デモという集会が、社会をきな臭い方向へ導かないようにするには、どうすればいいのか?
いくつか具体的な改善策を考えてみよう。
●毎月1回に限定し、同じ都道府県の中を1年かけて回っていく。東京なら、新宿区の次は渋谷区でやるなど、地元市民が参加しやすくする。
●新聞やテレビが取材したくなる3つの要素を企画の段階で考えておく。
3つの要素とは、時事性・公共性・革新性だ。
時事性とは、タイムリーな話題とひもづけること。たとえば石油の値段が上がっているなら、石油や電気をなるだけ使わない工夫でデモが開催されるといったことだ。
公共性とは、なるだけ多くの人の関心・共感を集められるメッセージやアクションを盛り込むことだ。
たとえば、反戦を叫ぶだけでなく、反戦のアート作品やマンガ、アニメ、ゲーム、歌などを作ってきたアーチストが大集合するデモを企画することで、子どもから高齢者まで世代を問わず共感の輪が広がるような仕組みを考えるといい。
最後に、革新性だが、「よくあるデモだね」と思われてしまうと、やがて飽きられたり、アンチが増えたりすることが危ぶまれる。
そこで、「こんなデモ、見たことない!」とわくわくするような仕掛けが求められる。
たとえば、ポール・マッカートニーやマドンナなどのレジェンドが参加するというものでもいいし、中高生などの未成年が主催するコスプレで盛り上がれるデモでもいい。
大事なのは、思わずときめいてしまうようなデモだ。
こうして、反戦デモにユニークなアイデアが広がって行けば、戦争を準備するなんてバカバカしいと思う人が増えるだろう。
あなたは、どんな反戦デモだったら足を運んでみたくなるだろうか?
