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児童相談所に通報しても、子ども虐待が終わらない理由

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昨年(2019年)末、ハーバービジネスオンラインに企画を出し、執筆を依頼されて書いたところ、担当編集者から「『日本子ども親権奴隷』いう箇所を削除していただけないでしょうか」と指摘があった。

そこで、「詳細な説明が必要であれば、電話で応じます」と回答したところ、それっきり返事がなく、そのまま原稿が掲載されずじまいになっている。
その原稿をこのブログで公表するので、読者の賢明な判断を仰ぎたい。

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「自分は自分であり、自分以外の人にじゃまされない」「自分自身のことは自分で決められる」という権利は、生まれながらに誰もが持っている基本的人権だ。
名誉・人格・権利・自由を認められず、誰かに隷属し、その人の所有物として取り扱われ、支配され、譲渡・売買の対象とされる存在。
世界ではそれを、「奴隷」と呼ぶ。

日本の子どもは戦前から終戦直後まで、家計を支える労働者として親によって奉公に出され、売春窟などに売り飛ばされる子も珍しくなかった。
こうしたことは、本や映画、ドラマなどを通じて多くの人が知っているはずの歴史的事実だ。そして、今なお日本の子どもは、「権利主張できる主体」としての地位を法的に確保されてはいない。

児童福祉法でも、子どもはあくまでも保護される客体であって、権利を主張する主体としては扱われてこなかった。
2016年の改正によって、子どもが権利の主体として初めて位置づけられ、子どもの「意見が尊重され」ることなどが書き込まれた。しかし、意見が尊重されることと、自分の権利として意見を主張することが法的に保証されることとは、似て非なるものだ。

たとえ意見を尊重されても、児相や親権者と対等に議論・交渉できる権利主体者としてみなされなければ、一方的に意見が無視された時に文句は言えない。日本の子どもは、まだ権利主体者としての地位を確保できているとはいえず、発達年齢に応じて権利を行使できるよう、法律で明文化するべきとの意見も一部にある。

もっとも、子どもの人権を守るという文化は、日本には歴史的にない。21世紀に入った今日ですら、20歳未満の子どもは、住むところも、働く場所も、進学先も、入院先も、宿泊先も、口座開設先も、すべて親権者の許可がなければ選べない。
子どもは大人から一方的に支援・保護・養育・教育されるだけの対象にすぎず、「養ってやるんだから子どもの分際で権利など主張しないで黙って大人に従っていろ」という考えが、大人の子どもに対する基本姿勢のままなのだ。

日本の子どもは、今なお親権者と国家の奴隷である。そのため、制度設計を担当する厚労省の官僚も、官僚が書いた政策案を議決する政治家も、さんざん虐待された後の子どもを探して保護すればいいとし、「近所の虐待を通告しよう」という密告の啓発活動にばかり大金を使ってきた。

その結果、全国の児童相談所に寄せられる虐待相談の件数は、どうなったか? 調査初年の1990年から2018年までに約160倍にまで増え続けた。
28年間という長い間、たったの一度も虐待相談を減らせなかったのだ。


相談件数が増え続けた主な理由は、三つある。
一つは、児童相談所や一時保護所などのハコモノや職員を増やしてきたこと。
二つ目は、虐待通告ダイヤル189の普及ばかりしてきたこと。
三つめは、そもそも親に子どもを虐待させない仕組みを作ってこなかったことだ。

新たに施設や職員を増やすことは、相談窓口を増やすことになる。当然、相談件数も増える。すると、また施設や職員の増加に予算を割くことになる。施設や職員を増やせば、また相談件数が増える。これでは、相談件数と予算追加のいたちごっこが永遠に続くだけ。虐待そのものがなくなるわけではない。

しかも、相談件数が頭打ちしない点に着目すると、実態としての虐待は相談件数よりはるかに多いことが推測される。そのため、通報数が増えれば増えるほど、対応する職員の忙しさが加速し、一件あたりの解決の精度はどんどん甘くならざるを得ない。

たとえ児相の職員が「虐待による要保護児童」として認めても、「子どもを返せ」と強く迫る親権者に根負けして子どもを家に帰してしまえば、親がどのように子どもを扱っているかを正確かつ早急に知るのは容易ではない。
その結果、親に殺されてしまう子も続出している。あなたは、施設や職員を増やすだけで、虐待は減らせないこんな政策をこれからも続けたいだろうか?

20164月に日本小児科学会が発表した報告によると、虐待で死亡した可能性ありとして積極的な検証を行うことを考慮すべき15歳未満の子どもは、全国で毎年約350人程度いると推計されるという。
日本では毎日どこかで一人の子どもが親に殺されている計算だ。でも、事件として報道されるのはその30分の1程度。虐待防止策が作られないまま、このペースで虐待死が続けば、10年間で約3500人、30年間では1万人以上もの子どもが虐待で殺されてしまう。

安倍晋三首相は、児童相談所の専門職員を大幅に増員する考えを表明した。だが、消防車を増やしたら火事が減るか? 減るわけがない。小学生でもわかる程度の単純な理屈でも、この国の最高責任者は理解できないらしい。

だからこそ、さんざん虐待された後で子どもを保護する政策を「虐待防止策」と言い張るのはやめて、そもそも親に子どもを虐待させない仕組みを作らなければ、親に殺される子どもや、精神病や自殺に追いつめられる子どもは減らせないのだ。
もっとも、児相に虐待を通報すれば、子どもは必ず保護されるという勘違いをしている人は多い。

厚労省の発表によると、平成28年(2016年)度に全国の児童相談所へ寄せられた虐待相談に対応した件数は、122,575件だった(※実数)。
だが、そのうち一時保護された件数は、2175件(※児童虐待を要因として一時保護したが、平成28年度中に一時保護を解除した延べ件数)。

2175件÷122,575件=0.16
虐待通告をしても、10件に1件程度しか一時保護はされていない。そこで、「それなら親権の一時停止を家庭裁判所にはかればいい」と言い出す人もいる。
では、親権喪失、親権停止または管理権喪失の審判は、どのくらい行われているのか?

裁判所が発表している「親権制限事件及び児童福祉法に規定する事件の概況」によると、平成28年度は親権制限事件全体でも年間316件しか家庭裁判所で扱われていなかった。



平成28年度の場合、一時保護されたのは2175件だったので、
316÷21750.0156
一時保護されても、親権者による子ども支配を止められるチャンスは、たったの1.5%程度。親権に制限を加えるのは、針の穴を通すようなものだ。

それどころか、子ども本人にも親権停止を家裁に請求する権利があるのに、この自分自身の権利について、子どもは学校でも家庭でも教えられていない。
しつけと称して子どもに暴力を振るったり、暴言を吐いたり、子どもの世話を放棄するなどの虐待は、親権の濫用に当たることも、教えられていない。

平成29年度に家庭裁判所に請求された親権制限事件全体は、373件あった。
そのうち約9割に当たる333件が、親権の濫用が疑われる事案だった。


これは、親権を制限しなければならない理由が、親権者が親権を濫用することで子どもを虐待していることをはっきりと示している。

つまり、子ども虐待防止にとって最優先の課題は、現行法よりもっと容易に、かつスピーディに親権を制限できる制度への改革と、子どもが自分の権利を学べる機会の提供なのだ。
この二つの実現に資金・時間・労力を最優先で投入しなければ、親に殺されたり、自殺や精神病に追いつめられる子どもの減少は先送りされてしまう。

それに気づいたら、あなた自身の虐待防止活動を見直してみてほしい。
平成30年(2018年)度に、児童相談所に寄せられた虐待相談の相談経路のうち、警察からの相談が50%。これに、学校など(7%)・福祉事務所(5%)・医療機関(2%)・児童福祉施設(2%)を合わせると、役所関係が66%と一番多く、近隣知人からの通報は14%にすぎない。



これは、189という虐待通告ダイヤルを使って通告したのは、全国民の中で7人に1人しかいなかったことを意味する。虐待通告が国民の義務として法律に書かれていても、ふだん仲良くしているご近所の人を疑うことや密告することは、積極的にはしたくない。
それが市民の本音なのだ。
つまり、189を啓発するオレンジリボン運動は、すでにオワコンだ。

虐待通告は、児相の施設や職員を増やし、職員をさらに忙しくさせ、1件ごとの解決精度を甘くするばかり。それは、被虐待児を救うどころか、危険へと導く恐れすらある。

189の啓発活動は、もはや厚労省や自治体、企業がこぞってやる必要はない。むしろ、親に子どもを虐待させない仕組みを作るための調査や議論にこそ、資金・時間・労力を投入する頃合いだろう。

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 多くの日本人は、「日本の子どもにも人権が保障されているはずだ」と勘違いしている。
 だから、親に虐待されている子どもにとって、家出が生存戦略として希望になることすら、調べもせずに否定する。

 大人がちゃんと子どもを虐待から守れる仕組みを作っていないのに、子どもを家に縛り付けるような文脈だけが肯定されることは、大人から子どもへの権力的なふるまいにすら見えてくる。

 東洋経済オンラインでも、家出に関する記事が入稿済みなのに、公開が見送られたので、noteで全文を公開(←クリック)した。
 報道機関が、彼ら自身の取材不足によって子どもが親から虐待される深刻さに目を向けない。それ自体、子ども差別そのものに見えてくる。

 大津波が学校を襲っても、先生の引率に従わなければならない日本の子ども。
 児童養護施設で職員に虐待されても、施設がクラスタ感染しても、自分の権利で自主避難することさえ許されていない日本の子ども。

 なぜ、選挙権もなく、人権も守られない弱者からその声を奪うのか。
 奪っても、大人は何も困らないからだ。
 僕は、子どもたちに対して申し訳ない気持ちでいっぱいだ。




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