今年2月26日、Facebookメッセージを通じて、2019年3月に発足した「ジャーナリズム支援市民基金」(任意団体)のスタートアップ事業として、同事務局から第1回「ジャーナリズムX(エックス)アワード」の公募が開始した旨が伝えられた。
昨年(2019年)の1年間に発表された成果物、その期間に実施された取り組み、あるいは利用可能な形で公開された仕組みや機能(アプリ等を含む)など、様々な切り口の活動の内容で、3月17日の応募〆切日までに応募してほしいという。
初めての賞なので認知度が低く、〆切日までの3週間に集められる応募点数に不安があって、僕にまで声がかかったのだろう。
何しろ初めてなので、過去に選考結果はない。
賞の正当性も信頼性も、よくわからない。
それでも、若い人たちが新しいことに挑戦するのだ。
その志を買って、できるだけ手を貸したい。
そういう思いで昨年の1年分の仕事の資料を精査し、多忙な仕事の合い間に寝る時間を削って1週間で応募資料のPDFを作成し、3月3日にはメールで応募した。
すると、7月9日、こんなメールが届いた。
「当基金の運営幹事5名とアドバイザー2名で一次選考を 行ない、自薦・他薦によるエントリー全68件から19件を二次選 考向けにノミネートいたしました。
その後6月末に、外部有識者を 加えた二次選考会議において、ノミネートされた19件の中から特 に優れた案件として計X、Y、Z賞合わせて6件を選出いたしまし た。
※Z賞(選考員奨励賞)は、当初予定1件のところ4件を選出。 貴方からご応募いただいた案件は惜しくも授賞対象とはなりません でしたが、高評価により二次選考にノミネートされた19件に含ま れていました。
つきましては、本アワードのウェブサイト(htt ps://jxaward.com/) およびFacebookページ(https://www. facebook.com/journalismXfund/) でノミネート案件リストを公表したいのですが、ご了解いただけま すでしょうか。
ご了解が得られなければ、お名前( 成果物のタイトル名+団体名)を公表することはいたしません。」
ん? べつに受賞しなくても構わないけど、受賞しなかったのに「ノミネート案件リスト」だけを公表する?
それでは、なぜ受賞できなかったのかの理由を、そのサイトを見る人が誰もわからないまま、「落選した人」として見世物にされるだけじゃん。
名前まで公表しないなら、案件リストのタイトルだけがネット上で詮索されることになる。
なんで、プロの記者がそんな辱めを受けなきゃならんの?
そこで、僕はこう返事をした。
「案件リストに、送付したPDFを丸ごと載せてもらえるならOKで す。
タイトルだけが載っているなら、なぜ受賞しなかったのかが明らか にならないので、フェアとは言いにくいですから。」
その返事は、こうだった。
「いただ いたご意見について、内部で協議いたしました。
ノミネート案件リストは、当初は各案件の名称に、単純にウェブサ イトをリンクさせる予定でした。
けれども、今さんの取り組みの対 象となる成果物がハーバービジネスオンラインの記事、 自身のFB、ツイッター、YouTubeと細かく分かれていて、 URLをひとつあげるのは困難であること、『メディア・ミックス』がエントリーの主眼になっていてSNSなどのメディアミックス がポイントであることなどを考えると、おっしゃっているようにP DFを添付するのが一番適切だと思いました」
「当初は各案件の名称に、単純にウェブサ イトをリンクさせる予定でした」という回答に、僕は調査報道に従事するプロに対するリスペクトを感じられなかった。
たとえば、料理人が自分の公式サイトで料理の写真を載せていたら、その写真を見ただけでプロの料理人以外がその料理を評価することなんてできるだろうか?
記事や番組に登場する被取材者の言葉を引き出すまでに、取材記者がどれだけ相手と関係を深め、そのためにどれだけの年月とお金をかけたのか、素人に見極められるだろうか?
この「ジャーナリズムX(エックス)アワード」には、こんな特徴がある。
運営者・選者に現役のジャーナリストを入れないのなら、その記事や活動がどれほどの労力や時間、経費、工夫や試行錯誤を経て作られたのかは、わからないだろう。
しかし、あえてそう決めたのなら、「わからない自分」を真摯に受け止め、「多様かつ柔軟にジャーナリズムの未来を探りたい」という志をブレずに貫くのが、プロ記者である応募者たちに対するせめてもの誠意のはずだ。
彼ら運営・選者は、その志を受賞作品で示す「想定例」として、応募者向けにこのように公表していた。
そして、7月30日、受賞結果が発表された。
受賞者の方々に対するコメントはあえてしないが、あなたには上記の志や「想定例」どおりの受賞作に思えただろうか?
僕は「No!」だ。
大賞は、グループが受賞した。
1人で取材記事を書くフリー記者は、グループに対して仕事量では絶対にかなわない。
グループが大賞にを受賞した以上、今後フリー記者は応募しなくなるだろう。
大賞以外の受賞作品については、「市民社会で幅広い経験を持つ人たちがこれから現れようとするジャーナリズムを応援する」という理念がどこに反映されているか、僕にはさっぱりわからなかった。
しかも、受賞者には、せやろがいおじさんまで入ってる!
受賞理由は、「従来の媒体や手法では届かなかった人びとを振り向かせ、ジャーナリズムの壁を突き破る一例」とか。
「ジャーナリズムの壁」って何?
「従来の媒体や手法」には数百万人に届けられるテレビのバラエティ番組も入ってるはずだが、そうしたテレビ番組より33万人しかYouTubeのチャンネル登録者がいないせやろがいおじさんの方に媒体力があると判断できる根拠はどこにあるの?
運営者・選者側は、せやろがいおじさんの発信内容を「質と発信頻度においても高水準を維持」と評していたが、その水準がプロのジャーナリストと同等と評価するなら、落選した朝日新聞の記者の記事はせやろがいおじさんの水準に達してないというの?
僕は芸人としてのせやろがいおじさんが大好きだが、「ジャーナリズムの壁を突き破る一例」とか、プロ記者と同等に「質と発信頻度においても高水準を維持」とは、とても納得できない。
あなたは、2次選考まで残った作品と受賞作品との間に、決定的な違いを感じられただろうか?
あなたなら、この結果を見て、どの作品を受賞させたかな?
twitterで、#ジャーナリズムXアワード のハッシュタグで忌憚のない意見を書いてみてほしい。
「選考を終えて」に続く文章を読んでも、「日本の進むべき新しいジャーナリズム」という募集時点の理念が、受賞作のどこに反映されているか、僕にはわからなかった。
運営者・選者は一方的に選考したが、ネット上で公表される内容は、それを見る人たちが運営者・選者の選考方針や受賞結果のありようをいくらでも逆査定できる。
少なくとも僕には、運営者・選者が最初に掲げた理念や志は、ジャーナリズムの素人ゆえに最初からぼんやりしすぎていて、実際の選考基準もよくわからないものに見えた。
そもそも彼らは、ジャーナリズムの価値を理解しているのだろうか?
もちろん、初回だから、なるだけ寛容に見てあげたい気持ちもあった。
だが、6月上旬に予定されていた受賞案件の発表は大幅に遅れ、しかも応募時点で「賞金10万円」と発表されていたジャーナリズムZ賞(選考員奨励賞1件)は予告なく4件に拡大され、賞金も各自5万円に縮小され、総額は20万円にふくれ上がっていた。
これを彼らは、「Z賞(選考委員奨励賞)の件数と賞金額が告知と異なるのも、初回ならではの柔軟な対応の一端です」と説明している。
柔軟な対応?
運営者側にとって都合の良い判断を一方的にしただけじゃん!
多忙の日々の中で1円にもならない応募ファイルを作ったプロ記者たちの知らないところで、なぜこんな勝手な判断ができるの?
取材時間や寝る時間を削ってまで何の権威もない賞に力を貸したプロ記者たちの思いを平気で踏みにじる文章に、なんともやりきれない思いだ。
5万円でできる取材の中身と、10万円でできる取材の中身では、記事や番組の品質がどれほど大きく異なるのかすら、運営者・選者はわかっていないように見える。
どこまでプロのジャーナリストたちをバカにするの?
プロをなめんなよ。
大人の仕事をなめるんじゃねぇよ。
けっ、何が「ジャーナリズム」だ。バカ野郎!
自分の大事な仕事時間を削ってまで新しい試みを応援する俺が、自分の仕事の価値を勝手に下げられても、おとなしく引っ込んでる坊やに見えたのか?
取材には経費がかかり、記事の質を上げるために自腹を切ってるプロは珍しくないが、記事を見てそのコストを見積もれる能力もない人ばかりを選者にしたことは、本当に妥当だったのか?
そう疑い、大きな反省点にする必要があるでは?
今回の選考は、プロの仕事に対してよくわからない人たちが、「わからない自分」に居直った傲慢さを露呈させた結果だ。
志だって本物だったか、今となっては怪しい。
応募〆切までに、自薦・他薦を含め、たった68件の応募作しか集められなかったのは、運営側が端的に無能か、応募されたプロの記者の方々に「ネット上でどんどん拡散して応援してあげよう」という気持ちを抱かせなかった結果だろう。
そんな運営者・選者を少しでも応援したいと考えた僕の方が浅はかで、間違っていたのかもしれない。
もう、怒りを通り越して、自分を笑うしかない。
僕は今後、新設の賞に何ら期待することはないだろう。
今回の受賞作を見れば、第2回に応募したがる逸材なんて出てこないだろう。
応募者の尊厳を大事にしない人たちに選ばれたい記者など、いるわけないもんね。
★今一生のYouTubeチャンネル登録はコチラ
昨年(2019年)の1年間に発表された成果物、その期間に実施された取り組み、あるいは利用可能な形で公開された仕組みや機能(アプリ等を含む)など、様々な切り口の活動の内容で、3月17日の応募〆切日までに応募してほしいという。
初めての賞なので認知度が低く、〆切日までの3週間に集められる応募点数に不安があって、僕にまで声がかかったのだろう。
何しろ初めてなので、過去に選考結果はない。
賞の正当性も信頼性も、よくわからない。
それでも、若い人たちが新しいことに挑戦するのだ。
その志を買って、できるだけ手を貸したい。
そういう思いで昨年の1年分の仕事の資料を精査し、多忙な仕事の合い間に寝る時間を削って1週間で応募資料のPDFを作成し、3月3日にはメールで応募した。
すると、7月9日、こんなメールが届いた。
「当基金の運営幹事5名とアドバイザー2名で一次選考を
その後6月末に、外部有識者を
※Z賞(選考員奨励賞)は、当初予定1件のところ4件を選出。 貴方からご応募いただいた案件は惜しくも授賞対象とはなりません
つきましては、本アワードのウェブサイト(htt
ご了解が得られなければ、お名前(
ん? べつに受賞しなくても構わないけど、受賞しなかったのに「ノミネート案件リスト」だけを公表する?
それでは、なぜ受賞できなかったのかの理由を、そのサイトを見る人が誰もわからないまま、「落選した人」として見世物にされるだけじゃん。
名前まで公表しないなら、案件リストのタイトルだけがネット上で詮索されることになる。
なんで、プロの記者がそんな辱めを受けなきゃならんの?
そこで、僕はこう返事をした。
「案件リストに、送付したPDFを丸ごと載せてもらえるならOKで
タイトルだけが載っているなら、なぜ受賞しなかったのかが明らか
その返事は、こうだった。
「いただ
ノミネート案件リストは、当初は各案件の名称に、単純にウェブサ
けれども、今さんの取り組みの対
「当初は各案件の名称に、単純にウェブサ
たとえば、料理人が自分の公式サイトで料理の写真を載せていたら、その写真を見ただけでプロの料理人以外がその料理を評価することなんてできるだろうか?
記事や番組に登場する被取材者の言葉を引き出すまでに、取材記者がどれだけ相手と関係を深め、そのためにどれだけの年月とお金をかけたのか、素人に見極められるだろうか?
この「ジャーナリズムX(エックス)アワード」には、こんな特徴がある。
運営者・選者に現役のジャーナリストを入れないのなら、その記事や活動がどれほどの労力や時間、経費、工夫や試行錯誤を経て作られたのかは、わからないだろう。
しかし、あえてそう決めたのなら、「わからない自分」を真摯に受け止め、「多様かつ柔軟にジャーナリズムの未来を探りたい」という志をブレずに貫くのが、プロ記者である応募者たちに対するせめてもの誠意のはずだ。
彼ら運営・選者は、その志を受賞作品で示す「想定例」として、応募者向けにこのように公表していた。
そして、7月30日、受賞結果が発表された。
受賞者の方々に対するコメントはあえてしないが、あなたには上記の志や「想定例」どおりの受賞作に思えただろうか?
僕は「No!」だ。
大賞は、グループが受賞した。
1人で取材記事を書くフリー記者は、グループに対して仕事量では絶対にかなわない。
グループが大賞にを受賞した以上、今後フリー記者は応募しなくなるだろう。
大賞以外の受賞作品については、「市民社会で幅広い経験を持つ人たちがこれから現れようとするジャーナリズムを応援する」という理念がどこに反映されているか、僕にはさっぱりわからなかった。
しかも、受賞者には、せやろがいおじさんまで入ってる!
受賞理由は、「従来の媒体や手法では届かなかった人びとを振り向かせ、ジャーナリズムの壁を突き破る一例」とか。
「ジャーナリズムの壁」って何?
「従来の媒体や手法」には数百万人に届けられるテレビのバラエティ番組も入ってるはずだが、そうしたテレビ番組より33万人しかYouTubeのチャンネル登録者がいないせやろがいおじさんの方に媒体力があると判断できる根拠はどこにあるの?
運営者・選者側は、せやろがいおじさんの発信内容を「質と発信頻度においても高水準を維持」と評していたが、その水準がプロのジャーナリストと同等と評価するなら、落選した朝日新聞の記者の記事はせやろがいおじさんの水準に達してないというの?
僕は芸人としてのせやろがいおじさんが大好きだが、「ジャーナリズムの壁を突き破る一例」とか、プロ記者と同等に「質と発信頻度においても高水準を維持」とは、とても納得できない。
あなたは、2次選考まで残った作品と受賞作品との間に、決定的な違いを感じられただろうか?
あなたなら、この結果を見て、どの作品を受賞させたかな?
twitterで、#ジャーナリズムXアワード のハッシュタグで忌憚のない意見を書いてみてほしい。
「選考を終えて」に続く文章を読んでも、「日本の進むべき新しいジャーナリズム」という募集時点の理念が、受賞作のどこに反映されているか、僕にはわからなかった。
運営者・選者は一方的に選考したが、ネット上で公表される内容は、それを見る人たちが運営者・選者の選考方針や受賞結果のありようをいくらでも逆査定できる。
少なくとも僕には、運営者・選者が最初に掲げた理念や志は、ジャーナリズムの素人ゆえに最初からぼんやりしすぎていて、実際の選考基準もよくわからないものに見えた。
そもそも彼らは、ジャーナリズムの価値を理解しているのだろうか?
もちろん、初回だから、なるだけ寛容に見てあげたい気持ちもあった。
だが、6月上旬に予定されていた受賞案件の発表は大幅に遅れ、しかも応募時点で「賞金10万円」と発表されていたジャーナリズムZ賞(選考員奨励賞1件)は予告なく4件に拡大され、賞金も各自5万円に縮小され、総額は20万円にふくれ上がっていた。
これを彼らは、「Z賞(選考委員奨励賞)の件数と賞金額が告知と異なるのも、初回ならではの柔軟な対応の一端です」と説明している。
柔軟な対応?
運営者側にとって都合の良い判断を一方的にしただけじゃん!
多忙の日々の中で1円にもならない応募ファイルを作ったプロ記者たちの知らないところで、なぜこんな勝手な判断ができるの?
取材時間や寝る時間を削ってまで何の権威もない賞に力を貸したプロ記者たちの思いを平気で踏みにじる文章に、なんともやりきれない思いだ。
5万円でできる取材の中身と、10万円でできる取材の中身では、記事や番組の品質がどれほど大きく異なるのかすら、運営者・選者はわかっていないように見える。
どこまでプロのジャーナリストたちをバカにするの?
プロをなめんなよ。
大人の仕事をなめるんじゃねぇよ。
けっ、何が「ジャーナリズム」だ。バカ野郎!
自分の大事な仕事時間を削ってまで新しい試みを応援する俺が、自分の仕事の価値を勝手に下げられても、おとなしく引っ込んでる坊やに見えたのか?
取材には経費がかかり、記事の質を上げるために自腹を切ってるプロは珍しくないが、記事を見てそのコストを見積もれる能力もない人ばかりを選者にしたことは、本当に妥当だったのか?
そう疑い、大きな反省点にする必要があるでは?
今回の選考は、プロの仕事に対してよくわからない人たちが、「わからない自分」に居直った傲慢さを露呈させた結果だ。
志だって本物だったか、今となっては怪しい。
応募〆切までに、自薦・他薦を含め、たった68件の応募作しか集められなかったのは、運営側が端的に無能か、応募されたプロの記者の方々に「ネット上でどんどん拡散して応援してあげよう」という気持ちを抱かせなかった結果だろう。
そんな運営者・選者を少しでも応援したいと考えた僕の方が浅はかで、間違っていたのかもしれない。
もう、怒りを通り越して、自分を笑うしかない。
僕は今後、新設の賞に何ら期待することはないだろう。
今回の受賞作を見れば、第2回に応募したがる逸材なんて出てこないだろう。
応募者の尊厳を大事にしない人たちに選ばれたい記者など、いるわけないもんね。
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