1960年代に活躍した黒人歌手サム・クックや、モハメド・アリのドキュメンタリーをネットで見ていると、現代の日本にも「子ども差別」があることに気づかされる。
白人からどんなに差別され、命の危険を感じようとも、「自分にだって人々から守られるべき基本的人権がある」と考え、自尊心を信じ抜きたいと戦っていたのが、サム・クックやアリ、マルコムXやキング牧師などの「少数派の文化的英雄」だった。
だが、当たり前のように差別される日常を生きていた1960年代までの黒人のほとんどは、「自分は白人より劣っている」とか、「白人と同等の権利を持つ価値が自分にはない」と感じていたそうだ。
それほど低い評価の自己認識を黒人に信じさせた要因は、いくらでもある。
アメリカにおける黒人の先祖がアフリカら輸入された奴隷だった出自や、ジム・クロウ法などの公的な法制度によって人種隔離や公民権はく奪などの屈辱的な立場に長く置かれていた現実など、黒人は小さい頃から徹底的に自己否定感を植え付けられて育てられ、まともな教育や就労の機会を奪われ、孫の代やその先まで延々と貧困に苦しめられてきたのだ。
奴隷にとっては、自分が奴隷として扱われることが当たり前の日常なので、奴隷でいる不自由や不遇に慣れてしまい、耐えることばかりが上手になってしまう。
その結果、自分の劣等ぶりを自責するばかりで、「差別のある社会の仕組みを変えて、もっと人間らしい暮らしができるようにしよう」という動機や勇気すら奪われてしまう。
差別する側も、差別される痛みは他人事なので、差別に対して無関心だし、自分自身の加害者性にも鈍感なままだ。
法改正や報道が差別を問題視し、差別の痛みを知識として知る機会が増えない限り、いつまでも差別し続ける。
そこで、現代日本の子どもたちを見てみよう。
日本の子どもは、国際比較でも自己評価が低い。
2019年の内閣府発表の白書によると、日本の若者の「自己肯定感」は諸外国の若者に比べて低く、欧米など6か国との比較でもっとも低かった。
これは、なぜなのか?
僕は、「日本の子どもは大人から合法的に差別されて育っているからだ」とハッキリと指摘しておきたい。
国民から統治権力(政府)に対する命令である憲法では、「すべて国民は、個人として尊重される」と明記されている。
しかし、統治権力(政府)が国民に命令する法律の一つである民法では、「成年に達しない者は、父母の親権に服する」と明記されている。
これは「子どもは親に黙って従え」という意味なので、当然のように子どもの基本的人権は現実生活で制限される。
あなたが子どもだったら、親に虐待されても、親に無断で家から避難することはできない。
親権者にだけ、子どもの居場所を決める「居所指定権」という特権があるために、子どもの自由意思で家出すれば、虞犯少年や非行少年として扱われてしまう。
(※この特権は親権者のみなので、親族がかくまっても警察に逮捕されるというニュースが検索結果でわかる)
また、一刻も早く危険な家から自立しようと、アルバイトをしたくても、親権者には子どもの事業や職種を決める「職業許可権」があるため、親が許可しない限り、どんな合法的な仕事も子どもはできない。
たとえ、親に許されて仕事につけて、そこで得た所得を貯金しようと思っても、親権者には子どもの金を管理する「財産管理権」があるため、親は子どもの金を奪っても直ちに逮捕されることはない。
そこで仕方なく、売春や薬物売買などの非合法な手段で無断外泊を重ねる未成年が出てくるわけだが、これは民法上、子どもが親の奴隷として位置づけられているからだ。
虐待されても避難する権利が許されず、合法的に所得を得ようにも許可が必要で、どんなにまじめに働いても搾取される恐れがある。
まさに、奴隷時代の黒人と同じじゃないか!
このように、子どもから生存権や労働権などの基本的人権を合法的に奪ってしまえば、子ども自身も「自分が幼いからいけないんだ」とか、「大人になるまで耐えるしかない」とか、「自分は大人を超えられない」などと感じ、耐えられない子は自殺してしまう。
日本では、10歳から39歳までの死因1位は「自殺」だ。
病気や事故ではない。
実際、「死んだほうが楽だ」と感じ、抑うつ状態の小学生が2割近くいるという統計も約20年前に公表された。
僕ら大人は、今でも「子ども差別」を続けている。
だから、自分がどれだけ子どもの人権に無関心なのかに気づけない。
その無関心ぶりは、親や教師などの大人にとって「都合の良い子」として育ち、経済的に恵まれた人ほど強い。
だから、ジャニーズ問題についても、性加害の判決が出た後から報道を怠ってきたメディア従事者は、今でも的外れな反省点を平気で語る。
「芸能スキャンダルだから、報道部としては裁判自体にニュース価値を見いだせなかった」
→子どもが被害者だから、当たり前のように軽視した
「男性の被害は想定外だった」
→第2次性徴を迎える前の子どもに「性差」はないため、そもそも子どもの人権に関心がなかった
「視聴率の稼げるタレントが大勢いるジャニーズ事務所に忖度していた」
→テレビ局なら、編成部長などの社内の「えらい人」と戦う勇気がなかっただけ
日本社会自体に子どもを大事にする文化が歴史的に無い以上、子どもの人権を守るためには、自分の生活を賭けても自分より強い相手と戦う勇気が試される。
だが、自分自身がどれだけ人権を奪われながら育ってきたのかを思い出そうともしない人たちが、そんな勇気や、子どもを守る愛なんて、持てるだろうか?
僕は、「言論だけではこの国の子ども差別は終わらない」と考え始めている。
かといって、暴力なんて使わない。
音楽やマンガなど、子どもに届きやすい文化の中で、「差別されている自分」に気づく新しい世代を育てたい。
だから、1円にもならないこんなブログ記事を書いている。
本当は、連載のオファーがほしいところなのだが、読者におもねる内容しか求められない出版状況では、願うだけむなしい。
せめて、以下の動画を拡散してくれることだけを望むとしよう。
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