日本は戦後、天皇が人間宣言を行った瞬間から、大人になるための通過儀礼を失った。
成人式は、同世代が久しぶりに会うための機会にすぎなくなり、何をすれば大人として認められるかの公式の基準はなくなったのだ。
言い換えるなら、「期待される大人」になる必要がなくなったのだ。
さらに言い換えるなら、大人になることは、自分らしい自分に自らを成長させることになったのだ。
「先輩から認められる大人像」もなくなったのだから、自分らしい自分になることだけが、自分自身にとっての成長を示すものになった。
「成年」の法的な年齢が20歳から18歳に変更されても、そのことは変わらない。
「自分らしい自分」になろうとすることは、自分以外の誰かとの共通点が減ることを意味する。
自分とは本来、唯一無二の存在だが、共通点を失えば、孤立を強いられる。
だが、それは同時に、「他人からの期待を負う必要がない」ほど、自分で自分の自分らしさを認めてあげる必要が出てきたことを意味する。
三島由紀夫は、「人間は自分のためだけに生きられるほど強くない」と言った。
だからといって、他人から一方的に与えられた人間と容易に仲間として連帯することはできない。
それは、事務所にマネジメントされるアイドルグループも同じだ。
あらかじめグループ内のメンバーどうしの間に連帯はないし、ファンとの間にも連帯はないし、事務所との間にも連帯はない。
だから、旧ジャニーズ事務所のグループのタレントには、刑事事件に発展する不祥事が多かったのだろう。
それは、ジャニー喜多川に「密室での分断」を仕掛けられたものかもしれないが、人気が出てしまえば、真実を言うにも大きな勇気が必要になるだろう。
しかし、1人の加害者による被害者数の多さでは、人類史上、最悪の犯罪を、風化させるわけにはいかない。
ジャニーズ問題とは、日本社会が歴史的に続けてきた「子どもを大事にしない文化」を象徴する事件なのだから。
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子ども虐待の現状と、新しい防止策