もちろん、主人公・寅子(ともこ)の家では、女性の更年期障害や認知症などの私生活の困難も同時に描かれてはいるが、この東京原爆裁判のドラマ映像はほとんど当時の復元映像のようなリアルさがあった。
この原爆裁判とは、国を相手に損害賠償とアメリカの原爆投下を国際法違反とすることを求めて訴訟を提起したもの。
当時は、被爆者に国が何の援護もせずに放置していたからこそ、報道関係者の関心も高かったのだ。
この裁判は、終戦(1945年)の10年後の1955年に訴訟が提起され、8年後の1963年に「原告の請求を棄却する」という判決が下された。
判決文を抜粋すると、こんな文章がある。
「アメリカ軍による広島・長崎への原爆投下は、国際法に違反する。被爆者個人は、損害賠償請求権を持たないからだ。
だが、国家は自らの権限と責任において開始した戦争により、多くの人々を死に導き、障害を負わせ、不安な生活に追い込んだ。
しかもその被害の甚大なことは、とうてい一般災害の比ではない。被告がこれに鑑み十分な救済策を執るべきことは、多言を要しないであろう。
それは立法府および内閻の責務である。本訴訟をみるにつけ、政治の貧困を嘆かずにはおられない」
(日本原水爆被害者団体協議会のHPより)
ここで書かれた「政治の貧困」とは何だろう?
もちろん、判決文の文脈で読めば、戦後の日本の国会議員が議会を通じて、被爆者の被害をケアするために必要な法律と予算を確保してこなかったことだ。
政策の議論が乏しく、被爆者に満足してもらうための救済策が足りないからこそ被爆者が救われずにいる現実を、「政治の貧困」と表現したわけだ。
もっとも、国会での議論が乏しく、被爆者だけではなく、さまざまな弱者が救われないままでいるという現実は、21世紀の今日まで続いている。
「政治の貧困」は、今の問題そのものなのだ。
では、なぜ「政治の貧困」が続いてしまうのか?
僕ら有権者の過半数が、戦争を始める前の軍国主義から抜けきらず、戦後から今日まで「民主主義とは何か」を理解できないままでいるからだ。
民主主義とは、自分が見過ごせない問題を自分や自分の仲間と一緒に解決する権利を行使した上で、どうしても限界があれば、「しょうがいないから俺たちの代理人として政治を使おう」と考え、税金を出して政治家を雇い、自分たちだけでは解決できないことを、法律や予算を変えることで解決に導こうとする手続きのことだ。
逆に、困ったことが目の前にあるのに、自分たちで解決しようとせず、真っ先に政治に頼れば、解決するための金がどんどんかかるため、増税要因をわざわざ納税者が増やすことになる。
そういう「真っ先に政治に頼る」構えは、かつては「おまかせ民主主義」と呼ばれ、頭が残念な人の典型のように嫌われていた。
しかし、SNS時代になると、たとえば「こども家庭庁の概算要求の6兆円をそっくり〇〇に使えば~」と恥ずかしげもなくXにポストする人が出てくる。
そういう後ろ指をさされて笑われそうなことをやりかねない人は、ひとつ前の動画を見ておくと、恥をかかずに済む。
民主主義マインドのない社会は、民主主義社会ではない。
つまり、日本の戦後の教育は、国民に民主主義マインドを教えることに失敗したといえるのだ。
だから、「二度と戦争なんて起こしたくない」と考える人でも、「防衛予算を増やせばいい」という偏差値30レベルの意見を、平気で誰もが見られるネットに書いている。
いくら予算を増やしたところで、日本は既に自衛を含むすべての戦争に勝てないことは、はっきりしている。
まず、日本の食糧の自給率は、生産額ベースでも60%台で、下がり続けている。
外国から輸入しなければ、日本人が飢えるだけだ。
次に、エネルギー自給率は10%台。
外国が日本へエネルギー資源の輸出を止めれば、電気も使えなくなる。
戦争が起こっている危険な国に、わざわざ命がけでものを売りに来る人は、軍需作業だけだ。
つまり、戦争が起これば、電気は止まり、仮に日本の領土に外国が攻めてきても、自衛できるわけがないのだ。
しかも、自衛隊は慢性的な人手不足に長年悩んでおり、常に「定員割れ」状態。
これは、少子化対策に30年以上も失敗し続けている政府・自民党に政治を任せきりにしてきた国民のツケの結果だ。
(※以下の画像は内閣府のHPより)
しかも、出産促進の失敗だけでなく、せっかく生まれた子どもも毎日虐待死で失い、10歳から39歳までの死因1位が自殺という生きづらさを放置している。
これは、兵士になる若年層が減り続けるのと同時に、出産できる年齢層の国民まで減らしていることを意味する。
こうした現実を調べもせずに、「こども家庭庁の予算をそっくり防衛費に回せ!」なんて狂ったような主張を支持する人が増えれば、必要な兵隊すら増やせず、日本国は人口減少が進み続け、勝手に自滅するしかなくなる。
それどころか、子どもを心身ともに守れる政策に変えないままなら、非武装中立しか選択できなくなる。
だから、子ども・若者の苦しみに責任をとる役所としてこども家庭庁が必要になるの。
以上のことが知識として理解できるなら、日本の政府に戦争をさせないための方法は、最高レベルの交渉術を多くの国民が学べる機会を増やすことだろう。
食糧もなく、エネルギー資源もなく、必要な兵隊の数すら増やせない日本では、多くの外国から愛され、「日本とは絶対に戦争をしたくない」と世界中の誰もが思えるような関係を築くしかないのだ。
相手の国が切実に求めているもので、その国ではどうしても調達できないものを日本が他国より優先的に輸出できれば、その国は「日本を攻めたら自分が困る」と理解できるようになる。
少子化による人口減少で国内需要が小さくなり、海外に商品やサービスを売りに出す必要に日々刻々と迫られている日本が、どこの国からも攻められたくないのなら、相手の国が自力調達できないものを輸出できるようにする必要がある。
第2次世界大戦に日本が負けたのは、アメリカの圧倒的な物量にも関心を持たなかっただけでなく、日本以外の国の人々が何を切実に求めているかを知ろうとしなかったからだ。
「政治の貧困」という言葉を聞いて、「政治家が悪い」で思考停止するのではなく、その政治家を選んだ有権者としての自分がどんな政策を具体的に望んでいるのかを自問し、政治家にお任せにしない賢い有権者に成長することが必要だ。
では、あなたが今、切実に求めている政策は何?
その政策は本当に、あなた自身や他の国民が民間事業で解決できなかった課題?