人権に関する考え方は、時代によって変化する。
しかし、その変化を気づこうとしなければ、それまで問題として認識していなかったので、自分が他人の人権をうっかりないがしろにしてしまうことがある。
そうなると、人権意識の変化に気づかない人は、自分が人権侵害をやらかしてしまって、他人からバッシングを受けて生きていける立場を失っても、復活の仕方がわからないままだろう。
そんなことを考えたのは、女性との関係がこじれて裁判にまで発展したお笑い芸人の松本人志(61歳)が、芸能活動を再開するというニュースが入ってきたからだ。
読売新聞の取材記事によると、吉本興業が今年夏にも、ダウンタウンによるインターネットの配信サービス「ダウンタウンチャンネル(仮称)」を始めるという。
でも、より若い世代がより新しいお笑いスタイルが増え続けている今、ダウンタウンの昭和時代から続く古いド突き漫才がこれから人気になるだろうか?
ちなみに、海外では相方の頭を殴るようなコメディアンは存在しないし、暴力的に映るので、海外市場を取り込もうとしても、無理だろう。
しかも、若い世代はテレビを見なくなっているため、ダウンタウンの動画で稼ごうと思っても、期待した以上に儲かることは無いだろう。
吉本興業が動画配信にダウンタウンを一発目に起用すると公表したのは、所属タレントの中で、知名度が一番大きいダウンタウンの名前を出すことで、動画配信のために投資したい会社を集めたいからだろう。
しかし、仮にダウンタウンチャンネルが海外で人気が出てしまうと、松本人志が女性に対して人権侵害をしたおそれがあることを、海外の人もネット検索で気づくようになる。
ローマ法王が亡くなった時、キリスト教の教会で少年たちがさんざん神父たちに性的虐待を受けてきた事実を、僕ら日本人でも日本語で記事を読んで知ってきた。
日本でのスキャンダルも海外の人は知ることになるわけだ。
そうなると、ダウンタウンの人気は次第にしぼんでいき、復活というよりは、世界に悪目立ちした高齢者として消えて行かざるを得ないだろう。
芸能界は長らく、障害や病気を持っていたり、学歴や学力が低かったりするなど、一般社会で受け入れにくい人たちの職場だった。
実際、芸能や娯楽は、多くの人にとってあってもなくても生きていくことには困らず、あればあったで生活に潤いをもたらすものだった。
だからこそ、昔の芸能人は、どんなに儲かっていても、家や私生活を見せることはなく、低姿勢でテレビに出ていた。
幻想を売るのが芸能界であり、だからこそ、反道徳的な行いや人権侵害のような悪い言動も、大衆の欲望や本音を背負う形で表現していた。
だから犯罪者になっても復帰できたし、それは芸能人の特権だった。
でも、時代は変わりつつある。
人権侵害を私生活でやらかせば、スポンサー企業があってこそ稼げるテレビ局からは放り出される。
ビジネスにおける社会的信頼は、芸能人でも私生活の中で問われる時代になったのだ。
それは、「支配する・支配されるという関係」そのものが終わる時代が始まったともいえる。
ちなみに、クーリエという雑誌には、こんな文章が載っていた。
「虐待者たちをのさばらせ、彼らに対して決然とした行動を取れなくさせた服従の文化を、教皇は根本から変えることができなかったと被害者たちは述べている」
服従の文化は、日本にも長く続いている。
日本の民法は、昨年(2024年)5月まで、こんな文章が明治時代からずっと明記されていた。
「成年に達しない者は、父母の親権に服する」
つまり、子どもは黙って親に従えってわけ。
でも、民法改正で次の文章に書き替えられた。
服従の文化は、親子関係だけでなく、勤務先と労働者との関係や、商品を売る人と買う人との関係など、いたるところに残っている。
そこで、フジテレビと中居正広の問題を改めて考えてみよう。
中居正広は、10代の頃からジャニーズ事務所に所属したが、未成年は親の許可がなければ、契約ができない。
逆に言えば、親が契約してしまえば、子どもはどんなにイヤでもその仕事をしなければならない。
民法改正によって、子どもが親に従わなければならない根拠法は無くなった。
けれど、親の決めるところで生活しなければならないとする法律は残ったままだ。
親が「ジャニー喜多川と一緒に合宿所に住み込んでがんばれ」と言えば、子どもはそれに従う必要が今でもあるわけ。
法律がそうなっているから。
これは、子どもに対する人権侵害そのものだ。
でも、子どもの人権に興味がない日本人は、子ども差別の法律を変えようとしない。
子どもの人権や権利、義務について、僕ら日本人はあまりにも無関心で、冷淡なのだ。
日本が人権後進国になるわけだよね。
中居正広は、ジャニー喜多川が性加害をしていた頃に10代だった。
しかも、そうした被害が無くても、マネジメント契約では、仕事の中身や売り出し方をマネジメント側に一方的に決められてしまう。
つまり、親に支配されるだけでなく、事務所にも支配される関係を強いられてきたのだ。
中居は、支配されるのが当たり前という環境で育ち、支配される苦しみには耐えるしかないという強いストレスを抱えただろう。
「支配されることから逃げたい」と思い続ければ、それは「支配する側に回りたい」という欲望に変わりかねない。
支配する側に回れば、自由に振るまえるし、何より安心だからだ。
しかし、それは弱者を見つけて支配することを正当化し、そんな王様のような自分に居直ることでもある。
未成年が事務所に対して、対等に交渉する権利がなく、人気が出る前のデビュー前なら事務所に支配される関係を当たり前に刷り込まれてしまう。
どんなにヤンキーでも、事務所には抵抗できないし、かわいく振るまうことを仕込まれる。
キバを抜き、去勢し、ペットに仕上げられるわけだ。
そうなると、権力のある側がない側に対して一方的に命令するという力(ちから)関係が恐ろしいことに気づかなくなる。
たとえ気づいたとしても、人気アイドルになって億単位で収入が増えていけば、弱い立場で苦しんだことも忘れてしまう。
そうなると、大人になっても、自分が権力を使って弱者を支配してしまう恐れに、思い当たらなくなる。
フジテレビの女性社員を自分の部屋に招き入れれば、女性社員にとっては「イヤとはいえない関係」だから、ふつうの恋愛関係ではなくなることも、理解できないだろう。
女性社員は、自分が中居を拒否してしまえば、中居がフジテレビの番組に出演しなくなることもありうると恐れていたから、中居の機嫌を損なうことは、できなかったのだ。
このように、権力勾配がある関係は「支配する・支配される関係」であり、互いに個人の意思で相手を選び合う対等な恋愛関係にはなりえない。
だから、支配的な関係を恋愛関係だと今でも信じているだろう中居の人権侵害は、報道関係者に「それは許せない」という正義の御旗を預けてしまう。
当然、いくら引退を宣言しても、本音としては「有名人のネタで雑誌の売上を伸ばしたい」と考える写真週刊誌のカメラに、中居はいつまでも追いかけ回される日々が続くのだ。
もちろん、記者会見を開いて、「自分は権力勾配に思い当たらず、恋愛だと勘違いしていた。自分はおろかでした。女性社員だけでなく、これまでつき合ってきた女性に謝りたい」と土下座して言ったならば、世間の見る目も変わるかもしれない。
というのも、人権侵害は、1対1の関係のプライベートな関係の中では、声の大きい人の言葉でかき消されてしまいがちだからだ。
裁判や第三者委員会による調査など、個人どうしの関係を越えた客観的な事実解明を経てこそ、人権侵害があったかどうかはハッキリする。
当事者どうしの話し合いのように、水面下で進められる話は、どこまでいっても、人権が守られた証拠にはなりにくいため、記者会見で記者たちから鋭く厳しい質問を受ける程度のことは、裁判や第三者委員会の前に先立ってやるべきなのだ。
フジテレビでも、まずスキャンダルの報道が出て、記者会見をやり、第三者委員会の調査が始まり、事実がある程度ハッキリしたところで、企業体質の問題も浮き彫りになった。
しかし、中居は「示談がすんだから芸能活動を続けられる」とか「引退します」ということを、自分の会社のホームページで公表しただけで、幕引きを図った。
これでは、中居がひそかに芸能界復帰を望んでもムリだろうし、60代か70代で奇跡のように「一夜限りのSmap再結成」をやっても、世間からの目は冷たいままだろう。
「全責任は自分にある」と声明を発表した中居は、自分がジャニー喜多川やジャニーズ事務所から支配されていた被害について軽んじているのだから、これからも同じ人権侵害を繰り返すおそれすら、世間に抱かせてしまった。
結局、彼の復帰はありえず、これからの余生は、自分のことを誰も知らない海外でひっそりと暮らすのが良いように思える。
日本にい続ければ、芸能ニュース欲しさにカメラを向けるのは、週刊誌の記者だけでなく、芸能人の落ちぶれた姿を撮影したいYouTuberや一般市民もいるからだ。
もっとも、人権侵害を多くの人から指摘されてもピンとこないのは、芸能界しか知らない松本人志や中居正広だけではない。
この2週間、SNSで話題になっているあの本の出版社や著者は、出版社の公式サイトで反論や言い訳を書いていたが、本の表現内容が人権侵害であるとは認めなかった。
著者の肩書を「産業カウンセラー」から「心理カウンセラー」に変えても、動物占いのような根拠のない文章と、障害者を動物にたとえたイラストに問題を感じない以上、出版社も著者も、表現を全面的に訂正した改訂版を出すつもりはないのだろう。
今回の騒動で、出版差し止めを求めるネット署名が1週間で1万5000筆を突破し、増え続けている。
本は4月24日にすでに販売されたが、出版社が人権侵害を認めていない以上、販売中止も、本の回収も、改訂版の出版も、ないのだろう。
こんな差別ヘイト本を出版したら、ベストセラーの作家たちは、この出版社から自分の本を出したいと思わなくなるだろう。
また、既にその出版社から本を出した人でも、二度と売れる本をそこから出そうとは思わなくなる。
これは、イラストレータも同じだし、装丁やデザインに携わる人も、この差別本の出版社と仕事をしたくなくなる。
もちろん、これから本を出したい作家志望者も、この出版社を避けることになる。
そうなると、今回の出版社は今後、売れ行きを少しずつ落としていき、倒産するのも時間の問題かもしれない。
ただし、今後、著者が他の出版社から『私、人権について学んでいませんでした。私はバカでした!』という本を出すことはできる。
これだけネットも、新聞も、雑誌も取り上げて話題になれば、ただでさえ出版不況の出版社にとって、話題の著者として新刊を書かせたくなるからだ。
今回の本の著者が復活できるとしたら、もちろん、それは万が一、彼女が60歳前後の年齢で考えを180度変えられるような柔らかい頭を持っていればの話だが、『私、バカでした!』という本で障害者の人権を守らなかった罪や、人権とは何かを書く可能性は1%くらいあるかもしれない。
結局、彼女がそうやって本の著者として復活することはあり得ないだろうし、他の多くの出版社も彼女に本を書き続けてほしいとは頼まないだろう。
今日の話をまとめると、中高年の人が人権侵害をするとは、復活のチャンスを失うってことなのだ。
恐ろしいよね!
3人ともさみしい老後になるだろうが、いくら金があっても、愛は買えない。
自分以外の誰かを支配したい欲求を持て余している中高年を助けたい余裕は、日本人には、もうないだろうから。
自分で人権を学ぼうとしない限り、古い考えで自分を縛りつけ、孤独をこじらせていくだけの老後になってしまうだろう。
そこで、みなさんに尋ねたい。
自分が他人の人権を侵害しないようにするために、あなた自身は何ができる?
あるいは、何をしたい?
たとえば、こんなアクションはどうかな?
●最新の人権に関する本を読んでみる
●会ったことがない障害者の話を聞いてみる
●障害者が起こしたビジネスを検索してみる
●子どもに関する法律の改正を検索してみる
●Xのスペースやzoomで人権について話し合う
●誰でも参加できる大学の人権研究のゼミを探す
●僕のYouTubeを見て、考えをアップデートする
あなたのアイデアを、ぜひ動画のチャット欄やコメント欄に書いてほしい。
(※スマホで生配信を見る方は、動画をクリックし、上部に表示される動画タイトルをクリックすると、右側の下の方に概要欄が現れます。
拡散用に大きな画像を使いたい方も、概要欄を。この記事の冒頭の画像を使ってもOK)