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自民党総裁選2025の投票が、10月4日(土)に投票・開票され、新しい総裁が決まる。
自民党の総裁が、次の総理大臣になるわけだ。
しかし、総理大臣の器としてふさわしい人材が5人の候補者にいないと考え、しらけている国民も少なくないだろう。
なぜ、しらけてしまう人が少なくないのかと言えば、2025年10月の時点で、自民・公明の与党が衆議院でも参議院でも少数派になった「少数与党」の時代だからだ。
国会議員の過半数を占めるのが野党である以上、少数与党である自民党の総裁がそのまま総理大臣になることの正当性は成り立たない。
もし裁判で「少数与党の自民党総裁が総理大臣になる仕組みは多数派による最大公約数的な政策を守る民主主義社会として合法なのか?」と訴える人がいたら、最高裁でも違法判決を出さざるを得ないのではないか?
少数与党になった以上、自民党の総裁がそのまま総理になるのは、ただの習慣にすぎず、民主主義社会として適切ではないことは明らかなのだ。
もちろん、これは政治家だけでなく、報道関係者の劣化が進んできた結果だろう。
そうした劣化した状況の中では、一国の総理大臣を決める手続きが、自民党内で勝手に決められ、誰かが総理になる現実は変わらない。
そこで有権者の僕らが理解しておくべきは、「政治はあくまで結果で判断する」という構えだ。
候補者の個人的な人格よりも、「政治家として私たち有権者をどれほど幸せにする政策を実現できたか」という基準で、総理を選んでほしいのだ。
その点では、伊東市長の学歴詐称の問題も、前橋市長のホテルでの密会問題も、個人的な問題でにすぎず、その市長が進めた政策によって市民をどれだけ幸せにできたかどうかとは関係がない。
それでも、「個人的なスキャンダルで信用できない」と考える有権者が多ければ、市民を幸せにする政策を進めようとする政治家がいても、失脚させられてしまうだろう。
ちなみに、伊東市でも前橋市でも、自民・公明などのおじさん議員たちは、革新を求める有権者によって市長に選ばれた女性をこきおろすのに、個人的なスキャンダルを利用した。
日本人の過半数が「政治家は結果だけで判断すべき存在だ」と考えないほど、民主主義マインドが足りないから、スキャンダルさえ起こせば、女性市長を追い出せると、自民・公明のおじさん議員たちは考えたのだろう。
そこで、今回の自民党総裁選の5人の候補を見れば、全員プライベートな問題が報じられてきた。
林芳正は、自身のファミリー企業に、繰り返し選挙費用や政治資金を支出していることが「週刊文春」の取材で分かった。
つまり、5人とも、日本のトップである総理大臣としての資質が疑われるようなエピソードを持っているのだ。
ただし、長期政権が続いている自民党では、そうした個人的なスキャンダルを言い出したら、おそらく誰も総理大臣になれないはずだ。
だからこそ政治家として、総理大臣として、個人の人格のダメさだけを見ていても、有権者のあなたにとって何も良いことはない。
むしろ、どんなにダメな人間であろうとも、有権者のあなたをどれだけ幸せにしたかを見るべきだろう。
それが、「政治は結果」という言葉の意味なのだ。
そこで思い出してほしいのが、田中角栄だ。
愛人やワイロなど個人的なスキャンダルが山のようにありながらも、戦後の政治家として石原慎太郎ですら「天才」と評価したのが、田中角栄だった。
角栄がもし日中国交正常化を実現しなかったら、リーマンショックによる経済損失を中国人が爆買いでカバーすることもできなかった。
角栄が高速道路や空港などの交通インフラの整備を短期間に実現したからこそ、地方の農産物や工業品は、日本全国や海外にまで流通させることができ、富の再配分ができる仕組みを実現できたのだ。
だから、角栄に個人的なスキャンダルがどんなに報道されても、角栄の人気は国民の間ですさまじく高かった。
つまり、どんなにスキャンダルがあろうと、それをはるかに上回るほどの幸せを国民にもたらした政治の実績があったから、政治家として支持する人が増えたのだ。
その角栄の「最後の弟子」を自称していたのが、石破茂だった。
しかし、彼は日本や有権者を大事にするよりも、自民党の内部からの突き上げによって、自ら総理をやめてしまった。
岸田総理のように、インボイス制度や離婚後の共同親権などのクソな政策を進めても、約3年も総理大臣の座から降りなかった悪党もいたのに、「角栄の最後の弟子」である石破はたった1年足らずで辞めてしまい、しらけた総裁選を迎えることになったのだ。
では、5人の候補は、どんな政策を実現できたか? そして、総理としてどんな政策を進めようとしているのか?
いろいろ報道が出ているが、選挙演説では具体的な政策案を叫ぶことはまれで、むしろ熱意とか人格などで自民党支持者を釣ろうとしているのが、総裁選の現実だ。
だが、田中角栄が生きていたら、具体的な政策より、口当たりの良い抽象的な熱意ばかり叫ぶ候補者たちに、きっと呆れただろう。
会社の経営者出身で、「コンピュータ付きブルドーザー」と呼ばれた田中角栄なら、政府の統計資料を基にした物価高対策として、真っ先に大型減税を叫んだだろう。
実際、日本が高度経済成長を成し遂げた昭和50年代まで、法人税は40%台だったが、今では20%台だ。
しかし、賃上げは30年以上も頭打ちなので、物価高に対応できず、中流資産層も貧困化し、子どもを産んで育てることに希望を持てなくなるため、少子化が進んでしまう。
だから、目先の課題として法人税を40%に戻し、消費税をゼロにするのが、物価高対策の基本政策になるはずだ。
しかし、今の自民党は企業からの献金でなんとか政権を維持しているため、法人税の引き上げができない。
それは同時に、消費税ゼロもできないことを意味する。
どんなに自民党自身が #変われ自民党 というハッシュタグで総裁選を盛り上げようと、「解党的出直し」を旗頭に国民の信頼を回復したくても、自民党に献金してくれる古いタイプの大企業の声を最優先で聞こうとすれば、国民=有権者の声を聞くことは後回しになる。
総裁選は、自民党にとっての政権維持のためだけにあり、日本全体にとって自民党は既に敵なのだ。
この現実をふまえれば、角栄さんもきっとお嘆きになるだろう。
角栄が生きていれば、「自民がつぶれようが、消費税ゼロと法人税率の引き上げを断行しなければ、国がもたん!」とお怒りになったはずだ。
もちろん、消費税率を下げるだけでは、所得は増えない。
企業が賃上げができないときは、それまで稼ぐ人材として期待されてこなかった子どもや若者、障害者や高齢者などが稼げる法律を作って、世帯収入を増やすのが特効薬になる。
実際、地方自治体では若者と女性向けの無料の起業塾を運営して、地元の若手起業家を増やしている。
だが、政府は「高校生ビジネスプラン・グランプリ」を開催したり、20年以上前から普通科以外の商業科や農業科などの高校では3年みっちりビジネスを実践できるプログラムを導入してはいるものの、国を挙げて若い世代の起業家をもっと増やして新しい時代の新しい産業を作り出すことに十分な投資をしているとはいえない。
歴史を見れば、行き詰った社会を変えるのは常に若い世代だ。
その若い世代ほど、子ども産んで育てることをあきらめ始めているのはもちろん、恋愛やセックスなどの男女関係そのものにも関心を示さなくなっている。
それでも、政府は少子化対策に失敗し続け、総裁選の候補者たちも、少子化による人口減によって数十年後には日本国が消滅する危機を語らない。
政府自身が公表しているように、日本の人口は50年後には半減し、6000万人程度になる。
1個100円のおまんじゅうを100人が買ってくれれば生活できていたお店は、50人しか買う人がいなくなれば、200円に値上げするしかなくなる。
つまり、物価高は少子化によって加速するしかないので、少子化問題を解決する大胆な政策を作れない人間が総理になれば、日本はとても暮らせない国になり、日本人自身が海外の国へ移民せざるを得なくなるだろう。
現時点で日本へ移民してくれる外国人を拒否していれば、人口減も加速するので、日本国消滅はますます現実のものとなっていく。
角栄がアメリカに嫌われようと、命がけで日中国交正常化を成し遂げたのに、今日の日本には命がけで日本国を守り抜こうとする人材など、自民党にはいないのだ。
これが、「安定」という口当たりの良い言葉と引き換えに、少子化という不都合な現実から目をそらしてきた日本人の選択の結果だ。
そこで、みなさんに問いかけてみたい。
政治がどんなにクソでも、民間でのビジネスにおいては優秀な日本で、これからも暮らし続けたいとしたら、あなたはどうやって自分の所得を増やそうとしているのか?
ぜひ、動画のチャット欄やコメント欄に書いてみてほしい。