この1ヶ月間、この話題がTV・ラジオ・新聞・ネットで毎日で報じられている。
事件発覚の直後に加害した選手が誠意のある記者会見を行い、詳細な経緯の説明とお詫びを行ったため、その後の話題の中心はもっぱら、反則を指示した監督・コーチに対する処分や今後の改善策、被害に遭った選手の親による寛容な態度の美談に終始している。
これまでの大まかな経緯は、こうだ。
関東学生アメリカンフットボール連盟が反則タックルを指示したとされる内田正人前監督と井上前コーチを除名(永久追放)、森琢ヘッドコーチを資格剥奪(登録の抹消)の処分を決めた。
そして、関東学生連盟の会長らは、内田前監督らの処分をスポーツ庁に報告した。
つまり、日大アメフト部の監督&コーチ<関東学生アメリカンフットボール連盟<スポーツ庁という具合に、より大きな組織がより小さな組織を「タテの関係」で指導することによって統治しようという図式だ。
「タテの関係」では、下の者は上の者に対して絶対服従である。
FNN PRIMEより |
そこで考えてみてほしい。
今回の事件は、日大アメフト部の選手<日大アメフト部の監督&コーチという「タテの関係」の中で起きたことが何度も指摘されている。
監督が「黒」といえば、白いものも「黒」という絶対的な権力がそこにはあった。
メディアはこの権力が正常なスポーツ運営に活かされていないことを問題視するという文脈を盛んに訴えてきたが、それは同時に、「タテの関係」の暴走を食い止めるために必要な「ヨコの関係」の脆弱さを浮き彫りにした。
その脆弱さは、反則タックルをした選手の「チームメイト」だった現役部員たちの発表した声明文にはっきりと表現されている。
彼らは選手どうしで今後の改善策を話し合っていくとしながらも、現時点では何をしていいか、はっきりとはわかっておらず、「捜査機関による捜査や大学が設置する第三者委員会の調査が行われるようですので、私たちも全面的に協力して、その結果も待ちたい」という。
有力な大人たちや保護者があれこれ動くようすを、ただ他人事のように見るだけの「待ちの姿勢」なのだ。
それでも彼らは、声明文で以下のことを明確に指摘した。
「大切な仲間であるチームメートがとても追い詰められた状態になっていたにもかかわらず、手助けすることができなかった私たちの責任はとても重い。(中略)
私たちは監督やコーチに頼りきりになり、その指示に盲目的に従ってきてしまいました。
また、監督・コーチとの間や選手間のコミュニケーションも十分ではありませんでした」
あれ?
アメフトって、仲間と一緒にスクラムを組んで敵の妨害を突破し、自分たちのボールをゴールへ導くスポーツじゃなかったっけ?
選手一同がまともにプレイしたいなら、反則を命じる監督・コーチこそ「敵」のはず。
実際、選手一同が声明文で書いたゴールは、「心から愛するアメリカンフットボールを他のチームの仲間たちとともにプレーできる機会」を作り出すことだった。
彼らが今後、「タテの関係」を一方的に強いる敵と戦うなら、選手一同みんなでスクラムを組んで「ヨコの関係」を強め、「これからは俺たちに監督やコーチを選ばせろ!」とか、「選手の俺たちを蚊帳の外に置いて大人の都合で勝手に話を進めるな!」と怒るはずだ。
しかし、選手一同は、選手どうしによる身内の話し合いを続けるばかりで、「タテの関係」の最下層として「上」の大人たちには何も文句を言わず、自分たち自身で一連の騒動の総括もせず、判断や決定の主体性を「上」に預けるばかり。
反則タックルをせざるを得なかった元部員と一緒に記者会見をすることもなければ、「俺たちは全員退部し、他の大学などでアメフトを続ける。それが嫌なら日大は俺たちの声を聞け」と覚悟を示すこともない。
反則のあった日から1ヶ月にもなっても、日大アメフト選手一同には「ヨコの関係」の確かさもなければ、自分たちがスクラムを組んで一丸となれば「タテの関係」を無効化できるという優位性に気づいてもいないのだ。
この惨状は、彼らが未成年者を含む「子ども」だから、ではない。
メディアで本件を報じる大人たち自身、「ヨコの関係」についてはだんまりを決め込んでいる。
なぜか?
大人ですら「ヨコの関係」の脆弱さを認めたくないからだ。
日本では、家父長制の文化を背景にした「タテの関係」が戦後も残り続け、誰もが対等にものが言える民主主義の文化が育っていない。
労働組合は実質的に出世コースになりはて、義務教育でも民主化のための授業はない。
だから、「タテの関係」で強いられる命令がどんなに不当でも、一人で反抗するのは怖いから、「上」を忖度することでやりすごすというガマンをいつまでも続けてしまう。
家庭では子どもが親の気持ちを忖度し、学校では生徒が先生を忖度し、職場では部下が上司を忖度する。
「ヨコの関係」に根ざした連帯こそが民主主義に必要なことであり、「タテの関係」の支配から自分の身と自尊心を守るセーフティネットだと頭ではわかっていても、なかなかできない。
「自分だけはチームに残ってレギュラー選手になりたい」という損得勘定を、「ヨコの関係」を築くことより優先している選手ばかりでは、「俺、弱いし」「俺も弱い」「俺も…」と不安に居直ってうなづき合うだけの思考停止で動けなくなる。
だから、声明文では自分たちの権利として監督やコーチを選ぶことすら主張できないまま、「ヨコの関係」を築いて起死回生する道筋にたどりつかないのだろう。
彼らの親だって、先生や監督に絶対服従するように子どもを育ててきた一方で、子どもたちによる「ヨコの関係」を育ててこなかったのだから、お互いに信頼し合える「ヨコの関係」を築くことが自分の身を守るために必要な作法だと気づいても、それができずにいる。
もっとも、「ヨコの関係」を作れないまま「タテの関係」からの不当な命令に従う奴隷ぶりは、日大アメフト部の選手一同だけではなく、現代の日本を生きる僕ら全員につきつけられている深刻で切実な現実だ。
これは、戦後の民主化教育の失敗であり、戦後処理が終わってない証拠。
これは、戦後の民主化教育の失敗であり、戦後処理が終わってない証拠。
それが、今回の騒動によって隠しようもなく国内外にバレてしまった。
では、どうする?
僕らは指をくわえて、日大の選手一同と同様に「上」からの指示を待つばかりの奴隷として一生を過ごすのか?
それとも…。
★同じ痛みを分かち合えるチャンスを作り出そう!
「お客さんに申し訳ない」と感じるようなうしろめたい商品を作らされている人。
「自社内では通用しても、世間にはバレたくない」という秘密を持たされてる人。
そのように、自分にとっては不本意と思いながらも、「タテの関係」による命令に抵抗できないまま、倫理的にまずいことを続けてしまっている人は、決して珍しくない。
そこで「自分には関係ない」と思う人も、こんな質問をされたら、どう答えるだろうか?
ある大学の授業では、「流す」と答えた学生が3割以上もいたそうだ。
「タテの関係」に奴隷のように従ってしまう人が3割もいるのは、恐ろしい。
これ、東日本大震災で福島原発が爆発してからたった8ヶ月後の授業でのアンケート結果なのだ。
どんなに優れた技術をもっていても、「上」から言われれば危険な判断に黙って従うなら、原発で働く技術者は今後も同じ事故を起こすだろう。
オンライン上の文書管理の技術の限界を知ろうとしない上司によって、ずさんな管理体制を命じられている技術者もいるだろう。
人体に悪影響のあるリスクを隠して新薬を売り出そうとする製薬会社で働きながら、誰にも言えずに苦しんでいる技術者もいるはずだ。
オンライン上の文書管理の技術の限界を知ろうとしない上司によって、ずさんな管理体制を命じられている技術者もいるだろう。
人体に悪影響のあるリスクを隠して新薬を売り出そうとする製薬会社で働きながら、誰にも言えずに苦しんでいる技術者もいるはずだ。
東工大教授の札野順さんは、「技術を実践する行為者である技術者は社会に対して特別の責任を負っています」と言い、『新しい時代の技術者倫理』という本(放送大学教材)を書いている。
この本には、「倫理的意思決定の方法」として7つのステップを紹介している。
以上をもう少し平たく言うと、こんな感じ。
【関連ブログ記事】この本には、「倫理的意思決定の方法」として7つのステップを紹介している。
以上をもう少し平たく言うと、こんな感じ。
1. 当事者の立場から直面している問題を表現せよ
(※前述のドラム缶の例にすると、液体がどんな物質だったらどんな影響が?)
2. 事実関係を整理せよ
(※液体を分析、誰が命じたのか、いつまでに捨てなければならないのか…)
3. ステイクホルダーと価値を整理せよ
(※液体を流した河川周辺の市民や自社の株主などへの具体的な影響とリスクは?)
4. 複数の行動案を具体的に考えてみよ(エシックス・テスト)
(※液体を河川に流す・流さない、友人に相談するなど他の選択肢は?)
5. 倫理的観点から行動案を評価せよ
(※4の行動案の一つ一つに対して倫理的かどうかを自問する)
6. 自分の行動方針を決定せよ
(※自分の責任を覚悟して実行できる行動案を一つ決める)
7. 再発防止に向けた対策を検討せよ
(※1~6の作業をくり返すことで、より納得できる行動へと洗練させる)
上記の中で難しそうな5番目のエシックス・テストの実際について、札野さんは放送大学で以下のように説明していた。
一番下に、外部の専門家に意見を尋ねたり、友人に相談するなどの作業が伴う「専門家テスト」がある通り、エシックス・テストは個人が一人で考えるだけでなく、同じ悩みを分かち合えそうな人に声をかけることで「ヨコの関係」を広げ、仲間どうしでスクラムを組み、タスク分担し合いながら進めていくのが現実的だろう。
もちろん、こうした面倒くさい作業には、困難もある。
その困難も、整理していけば、対処法が見えてくる。
促進要因の方へ動機づけてくれるのも、同じ悩みを分かち合える仲間との絆だろう。
一人では絶望しがちなことも、その悩みをうちあけることによって理解者や共感者が増え、一緒に解決へと動いてくれることがあり、それこそが現状打破の希望なのだ。
安倍政権は日本社会の格差を広げ、子どもの貧困化を進めているが、「子どもが飯もまともに食えない現実を見て見ぬふりはできない!」と考えた人たちは、同志を募って子ども食堂を自発的に作り出しており、日に日に急増中だ。
祝島では、新しい原発の建屋の建築を阻止するために、今も島民の半分が戦っている。
美しい海と島を次世代の子どもたちに残したいという思いを分かち合える仲間が、文字通りスクラムを組んでいる。
もう、政治家に任せていても、生きにくい社会は変えられない。
そう気づいた人は、誰かに頼まれたわけでもないのに、自発的に同じ悩みを共有する場所を作り出し、解決の仕組みを作り出すことに動き始めているのだ。
世界中で社会起業家という民間事業者が政策よりも極めて市民満足度の高い解決の仕組みをビジネスによって作り出しているし、日本でも「子育てと仕事の両立」「障害者の自立」「環境保全」などさまざまな分野でソーシャルビジネスが試みられている。
市民の自分たちが、自分たち自身が困ってる問題に伴う痛みと苦しみを分かち合うことで、民間で課題解決を進めていくしかない時代に突入しているのだ。
日本は、政治は三流だが、経済は一流。
有権者(納税者)として政策を洗練させるのには及び腰だが、消費者としては商品・サービスにうるさいほど文句をつける。
それゆえに世界でも最高の品質の商品・サービスに洗練させることに成功している。
そういう国民性なので、課題解決の仕組みを商品・サービスという形に落とし込むことで社会をもっと生きやすい場所へ変えようとしている社会起業家の存在感は、日に日に高まっている。
しかし、子どもは、有権者でないために政策にコミットできず、お金がないから消費者としても企業に対して発言力がない。
子どもは「虐待されない仕組みをっ作ってくれ」と声を上げることもできないし、「人権を守ってほしい」と望んでも大人が関心を持ってくれない。
だから僕は、子どもに対する虐待の問題を解決へと導くアクションに1人でも参加しやすい環境づくりをしてきたいんだ。
「虐待? 興味ないね」というあなたも、「虐待されたことはないけど、できることはしたい」というあなたも、『STOP! 子ども虐待 100 プロジェクト』にあるプロジェクトから自分にできそうなものを選んで参加してほしい。
親に虐待された当事者たちが集まるお茶会・朗読会も全国に続々と増えているし、子ども虐待防止策を訴える僕の講演会の依頼の相談も増えつつある。
地元の町で年にたった1回でも、虐待される子どもにみんなで胸を痛め、真剣に解決策を語り合うチャンスを作り出してもいいじゃないか。
なお、『STOP! 子ども虐待防止 100 プロジェクト』を進めていく活動資金として、寄付と定期的な支援を求めている。
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「自分には親に虐待されてる子どもに何もできないけど、自分の代わりに動いてくれるなら…」と思う方は、ぜひ無理のない範囲で寄付してほしい。
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