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東京・池袋で起きた車の事故で妻と娘を亡くした遺族に対して、「子どもと妻が死んで悲しいか。つらいなら私がかわりに殺してあげようか」と書いたメールを市役所や遺族の会宛てに送った人がいる。
実は、このメールを送ったのは、14歳の中学生で、その子は業務妨害と脅迫の疑いで書類送検されてしまった。
そこで、正論だけを言いたい人なら、「身内が亡くなって悲しんでいる人につらい言葉をかけるなよ」と突っ込んで思考停止してしまうのかもしれない。
しかし、その子は犯行動機について、「悩みがあったが、誰にも相談できなかった。脅迫すれば警察から相談先を教えてもらえると思った」と供述したと報道された。
もっとも、どんな悩みがあったのか、なぜ誰にも相談できなかったのかについては、詳細な報道が出ていない。
そこで、あくまでも一般論として語っておきたいのが、子どもが誰にも相談できない悩みを持つ事例は、ある程度、限定できるということだ。
相談できない理由の一つは、親に苦しめられている場合。
実は、通報ダイヤル189は、オレンジリボン運動を20年続けても、ほとんどの子どもに知られていない。
なので、親から殴られていたり、不眠やうつ病になっても病院にかかることを許されていなかったとしても、一人で悩みを抱え続けるしかない。
5年前の2019年に10歳の女児が父親に苦しめられて亡くなった野田市の事件を考えれば、学校や先生に悩みをうち明けたら、最後は親に命を奪われる結果になることが不安で相談できない子どもが増えていても、おかしくないのだ。
相談できない理由の2つめは、性や恋愛に関係する内容の場合だ。
14歳という思春期ど真ん中の頃は、ただでさえ性に関して人に言えないことが生じやすい。
教師から交際を迫られていたり、親に関係を迫られて妊娠・中絶をしていたり、誰の子どもかわからないぐらい複数の相手から暴行されている場合、少女は男性に相談すること自体が不安で出来なくなってしまうことがある。
もちろん、思春期ゆえに身の下のことを誰かに言うこと自体が恥ずかしかったり、自分の被害で父親が逮捕されてしまうと、生活費や高校への進学費のあてがなくなって困ってしまうと思って、警察にも言い出せなくなることがある。
さらに、相談できない第3の理由として、「勇気を出して相談を」というキャッチフレーズの恐ろしさがある。
貧困や犯罪の被害などでさんざん苦しんできた弱者に、なぜ「勇気を出して」と迫るのか?
勇気を出さなくても、気軽に相談できる仕組みを作るのが、政治の仕事ではないか?
市役所にはいろんな相談窓口があるが、何かに切実に困っていた人が相談に応じてくれるわけじゃない。
生活に困ったこともなければ、困っているつらい思いを分かち合えるとは見込めない「えらい人」がスーツ姿で相談に応じるだけだ。
それは、弁護士や臨床心理士、社会福祉士などの資格を持つ高学歴で、中卒や高卒、専門学校卒の人、あるいは中高生などの未成年から見れば「まぶしい存在」であり、正論を言われれば、ただただ黙って従うしかない相手だ。
親から苦しめられている子どもにとって、「安心して話を聞いてもらえる」と期待できるのは、そういう「大卒の偉い人」ではない。
むしろ、自分と同じように親に苦しめられても、なんとか生き残ってきたサバイバーこそ、「この人なら相談しやすい」と期待できる存在だろう。
しかし、役所にも、学校にも、地域社会にも、サバイバーを見つけることは難しい。
子どもが見つけることは、ほとんど無理と言っていい。
だからこそ、子育て支援課の相談窓口には、サバイバー当事者を配置してほしいと、僕は主張してきた。
このアイデアは、市民のあなたが市役所の子ども支援課などにメールしたり、市長や市議会議員に提案すれば、実現できることだ。
先日、Xのスペースで練馬区議会議員になった渡辺てる子さんにこの話をしたところ、大いに賛同してくださった。
今回、中学生が書類送検されたことで、この中学生の将来は暗いものになってしまう恐れが高い。
誹謗中傷をした人間は、その時点では加害者だが、加害者が子どもの場合、地元で名前が知れ渡れば、進学や就職にまで悪影響が出てくるからだ。
たった1回の犯罪行為で人生そのものを狂わせてしまうのだから、これは法律によって加害者が被害者に変わってしまうことを意味する。
そこで考えてみてほしい。
未成年は、民法上、親の奴隷であり、何をするにも親の許可を必要とする。
しかし、親が、親権という法的責任を学ばない場合、子どもを不当に不自由にするため、子どもは逃げることもできなければ、相談相手を見つけることすらできない。
こうなると、心理的に追いつめられた子どもは、自分や他人の命ですら大事にすることができなくなる。
親に尊厳も命も大事にされてこなかった人は、精神のバランスを欠いてしまい、何事もどうでもよくなってしまうことがあるのだ。
しかも、ネット上で何をすれば犯罪になるのかについて具体的に学ぶ機会を、中学生は与えられていない。
そこで、教わってないものを「学ぼうとしない奴が悪い」と責め立てたところで、誰も幸せにならない。
しかし、民法上、子育ての全責任が父母だけに問われていることを知った時、大人なら「そんなの無理だ」とか、「そんな法律は変えよう!」と声を上げることはできる。
でも、有権者ではなく、高校まで政治運動が学校で許されていない未成年には、声を上げることは「できないこと」なのだ。
子どもを親の奴隷にしている日本の親権制度は、子どもの人権をふみにじる危険度が高い。
それなら、子どもの犯罪は、親権者が逮捕されるようにしてもいいのでは?
民法は、子どもの養育上の法的責任は父母2人だけに押し付けているので、子ども自身は免責されてもいいはずだ。
子どもに「おまえには何の権利もないけど、罪だけは責任を取って負え」という法律は、おかしい。
僕ら大人は、子どもからすれば強者だ。
強者は、弱者のことを考えなくても何も困らない。
弱者は、強者が人権に関心を示さない限り、いつまでも弱者のままにされ、強者に支配され続ける。
しかし、強者にならなければ生きにくい社会の仕組みは、僕ら有権者の大人が変えようと思えば、変えられるのだ。
誰もが少しずつ老いてゆき、やがて心身の不自由に悩む高齢者になる。
足腰が立たなくなり、認知症が進み、誰かの世話なしには生きていけない弱者に戻る時、「子どもや高齢者のような判断能力の足りない弱者には、人権はいらない」と思うだろうか?
あなた自身が「人権を守られていない」と感じたことは何か?
それを思い出してみてほしい。