Breaking News
recent

マンガ『みいちゃんと山田さん』障害者支援団体の意見書◎ココが変だよ! #福祉 #マンガ #障害


(このテキストの動画版は、コチラ

 マンガアプリ「マガポケ」で連載していた人気マンガ『みいちゃんと山田さん』の最終話が、8月16日に公開された。

 すると、3日後の19日に、全国手をつなぐ育成会連合会(以下、育成連合会)は、公式ホームページ上でこのマンガに関する意見書を公開した。

 とりあえず、このニュースを伝える雑誌『FLASH』の記事をまず読んでみよう。

 この記事に書かれたように、育成連合会は『みいちゃんと山田さん』のアニメ化そのものに反対を表明してはない。

 だが、アニメを作る上で「専門家の立場や助言内容を具体的に示すことが必要」と指摘している。
 それならば、育成連合会自身が、自分たちの意見書の表現にもう少し配慮する必要があったのではないか?

 たとえば、意見書の中で、『みいちゃんと山田さん』を描いた亜月ねねさんの過去の作品の中に「懸念される言動」があったと指摘している。

 吃音のある人が、「うまく注文できないことを店員から馬鹿にされる」という形で取り上げた作品があると意見書に書かれてはいるものの、作品のタイトルは具体的に紹介されず、どういう文脈で「馬鹿にされる」表現になっているのかの説明もない。

 これでは、意見書を読んだ一般市民は、何を伝えたいのか、さっぱりわからないので、差別的な表現があったのかどうかすら、判断できない。
(注:亜月ねねさんは「ダイアナは自分ではない」と声明を出している)

 判断材料をはっきりと提示しないまま差別的で懸念材料だと指摘するのは、フェアではないし、そうした構えの物言いはひとりよがりの傲慢な態度にも見えてしまう。

 差別反対の構えを取る人こそが、ついしてしまう差別が、そうしたアンフェアな物言いではないだろうか?

 それと同じように説明不足を思わせる文章が他にも書かれている。

 作者自身が以前のペンネームであると明示している「ダイアナ」名義でも特殊学級(特別支援学級)をネガティブに捉えた作品が確認されています、と意見書に書かれているのだ。

 「特別支援学級をネガティブにとらえた」とは、具体的にどういう意味だろうか?
 そもそも、障害児が通学している特別支援学級には、まったく問題や課題はないのだろうか?

 障害当事者とその家族を支援する育成連合会にとって、特別支援学級がありがたい存在かもしれない。

 しかし、卒業後の進路を狭めるような教育内容だけでは、障害児が大人になった後に選択肢を奪われたように感じてしまうのではないか?

 特別支援学級の高等部を卒業しても、一般就労で雇われるのは21世紀の今でも難しく、福祉作業所で時給数百円レベルしか得られない就労支援に通所させられている現実がある。

 それなら、個別に自分のできることで自分らしい仕事を作り出せるように起業を学べるようにしておけば、特別支援学級に6歳から18歳まで12年間も通うのだから、多くの障害児が仕事に生きがいを見出せる大人になったはずだ。

 実際、特別支援学級を卒業して大人になった当事者に尋ねると、「18歳までの間に起業を教えてほしかった」とか、「重度障害でもOKという企業に就活したけど、全部断られた」という声を聴いた。

 意見書には、マンガを発行した講談社の編集者についても書かれている。

 本作品の出版社である(株)講談社の編集部員が、過去に公開されていた動画において「人の不幸話はめちゃくちゃ楽しい」「誰かが可哀想な目に遭うところを見 たい」「ポップに罪悪感なく人の不幸が読めちゃう」といった発言をしていることが確認されています。
 こうした発言は、知的障害が強く想起される「みいちゃん」および障害者の人格と個性を尊重しているとは言いがたく、いわば「面白おかしく」扱った上でエンターテインメント化している、もしくはエンターテインメント化することを容認していることが強く懸念されます。 

 編集者がどんなに鬼畜のような発言をしたとしても、それがそのままマンガ表現に反映されるとは断定できない。

 もしマンガの描写の中に障害者の人格と個性を尊重しないで、ただエンタメ化している表現があるなら、それはどのページのどのコマのどの絵なのか、どのセリフなのかを、具体的に指摘する必要があったのではないか?

 そして、そうした人権無視や差別の表現があった場合、あるいは差別ではなくても不快な表現があった場合、抗議する相手は漫画家・作者ではなく、発行元の出版社であるはずだ。

 マンガがどんなに表現したくても、出版社の社員編集者がダメだと言えば、その表現はネットでも本でも公開されない。

 漫画家や作者には著作権があるが、この著作権は作品が勝手に利用されないための権利であって、その作品を商品として主に出すかどうかを決めるのは出版社にある編集権だ。

 つまり、どんな表現にOKやNGを出すのかは、最終的に出版社が握っているのだ。

 なので、特定のマンガに懸念を表明したいのであれば、今回なら講談社の編集部に面会を申し入れて、意見書を手渡すなり、なぜ当事者不在の表現になったのかについて経緯を尋ねて確認するなどのアクションをするのが、筋が通った活動だろう。

 ちなみに僕自身は、障害が疑われても病院の診察を避ける両親に育てられた。

 それこそ「みいちゃん」のような母親と、「山田さん」のような父親だったと言っても過言ではないが、このように自分の親を「みいちゃん」みたいと説明することは、差別なんだろうか?

 むしろ、誰にも両親の障害特性を十分に説明されないまま、親子間のコミュニケーションが難しいまま育ってしまう子どもの立場を考えれば、「みいちゃん」という虚構のキャラクターがいてくれたおかげで、子ども時代に自分の両親の障害特性に気づける子どもや若者が増えることこそ、差別する人を減らす効果があるように思う。

 もちろん、『みいちゃんと山田さん』に限らず、マンガを作る現場には根深い問題がある。

 講談社や小学館と契約してマンガを描いた漫画家たちの中で、映像化や表現、制作環境をめぐって編集者から不当なトラブルをこうむった人たちは珍しくない。

 大きな出版社で売上に貢献するマンガを編集する部署で働く編集者には、偏差値70以上の優秀な大学を卒業し、30歳で年収1000万円を超える人たちが多い。

 そうした高学歴のトップに立つ「勝ち組」には、人の上に立つ責任感はもちろん、愛や勇気も育てられなかった(むしろ愛や勇気が試される機会を避けてきた)人たちが少なくない。

 だから彼らは、偏差値が低い学力層を思いやって仕事をすることはない。
 差別を意識することさえないほど、敗者や負け組に無関心なのだ。

 だから、偏差値70を超えた人にとって、「みいちゃん」はべつの星に住む宇宙人のような存在だ。

 しかし、亜月ねねさんは、「みいちゃん」とつき合うこと、一緒に生活することの難しさに直面することのリアルをマンガに描いた。

 とても勇気のあるマンガ家だと、僕は思った。

 障害を思わせる人を描くだけで、マンガを読む側は自分の心にある差別意識を自覚してしまい、不快に感じ、作者をdisろうとするからだ。

 『みいちゃんと山田さん』をまだ読んでない人には、ぜひ買って読んでほしいが、諸事情で読めない人には、考えてみてほしい。

 日本の福祉制度は、障害だけでなく、生きづらい属性を持つ人にとって、満足度の高いものになっているだろうか?

 あなたは、今の福祉制度を「こう変えてほしい」と望むことはないだろうか?


【関連ブログ記事】

★今一生のYouTubeチャンネル登録はコチラ

下の「シェア」「ツィート」をポチッと…



55分でサクッとわかる
子ども虐待の現状と、新しい防止策

conisshow

conisshow

Powered by Blogger.