中居正広が9000万円という多額の示談金で女性とのトラブルを解決した騒動で、中居正広自身は芸能活動からの引退を1月23日に表明した。
しかし、そのトラブルについて、フジテレビが女性社員を性接待させていたのではないかという疑惑が週刊文春に報道された。
それ以降、フジテレビは投資家から独立した第三者による社内調査を始めろと指摘され、番組スポンサーの80社以上がCMの差し替えや差し止めを始めた。
1月27日にはフルオープンの記者会見が行われる予定だが、フジテレビに対する不信感は高まるばかりで、社長の辞任や、親会社のフジ・メディアホールディングスの社長の辞任まで、取締役会で話題になったそうだ。
しかし、中居正広やフジテレビが消えてなくなれば、日本の人権問題は解決するのだろうか?
そもそも、人権問題は中居正広の事案だけだろうか?
フジテレビだけが人権問題を抱えていると断定していいのだろうか?
世界レベルで見ても人権意識の低い国として評価されている日本だが、とくに日本企業のジェンダーギャップはあまりにも低い。
世界経済フォーラム(WEF)が毎年発表している各国の男女格差を数値化した「ジェンダーギャップ指数」で、日本は2024年に118位。
下から数えた方が早いほどだ。
つまり、日本では女性が男性と平等に働ける環境を作っていないのだ。
女性が男性と同じように働く必要はないが、女性だからといって男性と平等に扱われないことは、差別そのものだ。
男女が平等になるには、女性が平等に扱われなかったことで被った苦しみを、男性も平等に引き受けることが必要になる。
中居正広から被害を受けた女性が、週刊誌の報道した通り、フジテレビの女性社員だったら、彼女はアナウンサーという本職を辞めざるを得ず、グラビアモデルだろうが、エッセイ執筆だろうが、他の仕事で生活手段を作るしかない。
だから、加害者である中居正広も、女性と平等に苦しむことで自分の罪を償おうとするなら、巨万の富を稼げる芸能界から引退するしかなかったのだ。
これが、中居正広が引退した裏事情だろう。
もっとも、このように弱い立場の人間を自分と平等に扱わなかったことが発覚した後で、慌てて相手の苦しみに気づいて、自分に苦しみを与えようとする作法は、中居正広に限った話ではない。
テレビ局や芸能界に限った話でもなく、どこの会社でもどこの家庭でも起こりうるのが、人権意識が低い日本社会なのだ。
日本全体が人権意識が低い以上、女性の人権だけでなく、男性の人権も容易に忘れられてしまうし、子どもの人権なんて「想定外」にされている。
日本の子どもは、親や教師に忖度して生きるしかないと学習性無気力を強いられる環境で育ち、大人に反抗すれば不良少年扱いされる。
だから、大人に従う方がラクだと覚えて優等生を目指してしまう。
その結果、就職する頃には上司にとって都合の良い部下としてふるまう社畜に育つのだ。
実際、上司から頼まれたから断り切れず、複数参加の飲み会に行くしかなかったという「接待奴隷」の経験は、労働者には珍しいことではないはずだ。
しかし、2次会、3次会の後、最後に自分より立場の強い相手と2人きりの状態にさせられ、「その後は自由恋愛だから」と言い逃れるなら、それはソープランドと同じ論理だ。
ソープランドは本番アリの売春ビジネスだが、客は受付のおじさんに「入浴料」を払うが、風俗嬢に金を渡すわけではない。
つまり、女性と密室に入った後は、何をしようと自由恋愛だってことだ。
性接待では、表向き「自由恋愛」を装い、実際は女性が逃げられないまま「仕事」として、求められる行為をせざるを得ない。
女性の方はあくまでも仕事の延長上にある行為だが、男性の方は金の代わりに正社員としての立場を守ることを女性に約束するわけだ。
接待に性行為が含まれる場合、立場が変われば見方も変わるグレーな関係を上司が準備するので、立場の弱い側が一方的に損を強いられる。
女性社員は、「まさかウチのような有名企業の上司が性接待を準備しているなんて」と思っても、「あの有名人と2人になれよ」という業務命令を録音していなければ、証拠も残らないので、社内で相談相手を探すのも大変になる。
フジテレビの社長は、「フリー記者やwebメディアなどを入れない閉鎖的な記者会見をすれば、会社を守れる」と考え、世間から猛烈な批判を浴びた後、番組スポンサーからもそっぽをむかれ、社員説明会で「あれは失敗だった」と反省の弁を述べた。
そんな経営トップのいる会社では、社員は性接待だけでなく、パワハラだって相談しにくいだろう。
だからといって、社長を含む経営陣がこぞって辞任しても、企業風土はそうカンタンには変わらない。
ジャニー喜多川が1000人以上もの被害者を出した事件を起こした後、スタートエンターテイメントに社員とアイドルが移籍しても、アイドルも社員も全員沈黙を続けているのを見れば、企業風土を変えるのがどれほど困難か、わかるはずだ。
そこで、フジテレビが今後、どのように変われば、社会的信頼とスポンサーを取り戻せるのかについて考えてみたい。
というのも、どのテレビ局でも視聴率が低迷している以上、フジテレビが良い方向へ変わることができれば、テレビ局全体の存在価値を高める良い見本になるうるからだ。
それは、あなた自身の労働環境や生き方を見直すことでもある。
フジテレビを改革する一丁目一番地は、労働組合が力を持つことだ。
先週までは80人しかいなかったフジテレビの労組の組合員は、たった1週間で500人を突破し、急増しているという。
フジテレビの社員数は1311名なので、全社員の過半数が組合員になる日も近い。
そうなれば、経営陣も株主も、社員の声を聞かざるを得なくなる。
社員は、番組を作ったり、企業に対して番組にCMを出してくれるようお願いするなど、放送事業を滞りなく回すための現場を良く知っている。
フジテレビの社会的信頼は既に地に落ちたのだから、這い上がるために必要なのは、これまでとどう違うのかをハッキリ見せることだ。
これまでは、社長から部長、部長から課長、課長から平社員という具合に、強い立場の人間から一方的にトップダウンで業務命令が下されてきた。
その結果として、性接待が疑われるような事案が報道されるに至ったのだから、不当な命令には従わないでいられるパワー・バランスを、労働組合が持つ必要がある。
強い立場の人間と弱い立場の人間との間の力関係を「権力勾配」というが、本来なら上司の方が自分の立場の強さの前に部下が服従を強いられていることを自覚する必要がある。
しかし、少なくともフジテレビでは、上司そのものが強い立場を利用して、女性社員に無理な接待をさせた疑惑が浮上した以上、労働組合に相談すれば、いつでも会社と平等に交渉できる環境を整えるのが最優先で取り組むべきことになる。
ただし、これまで社員の側も、高い年収による安定生活と、経営側と戦えばクビになると思わせるガスライティングで手なづけられてきた。
これは、ジャニーズ事務所が未成年タレントに仕事をさせていた時と同じやり口だ。
だからこそフジテレビの社員自身も、心を入れ替えないと、職場環境は変えられない。
どうすればいいのか?
一つは、「30歳で1000万円を超える高い年収をもらえば、不当な命令にも従わざるを得ない」というリスクに気づき、自分の自尊心を売って生きるような働き方からいつでも降りられるようにすること。
つまり、副業で稼げることを容認するよう労働組合を通じて会社と交渉することだ。
副業で十分に稼げるようになれば、不当な命令を蹴ることでクビを宣告されても、いつでも辞められる。
会社から経済的に自立できた労働者は、堂々と上司に「No!」と言えるのだ。
もう一つは、ガスライティングによって恐怖や不安を植え付けられてきた上司の言葉に気づくことだ。
ガスライティングとは、冷静に自分の被害を相談しても、「おまえ、まともじゃないよ。休めよ」などと心配を装って、弱い立場の人間に「正気ではない」と思わせる言動のこと。
中居正広の被害者になったとされる女性社員も、まるで彼女自身が認知のゆがみを持ったかのように、相談した上司に休みを取らされた。
そうした扱いを受けた彼女は数か月後にPTSDだと診断されるが、それが性接待によるものなのか、相談相手のガスライティングによる混乱のせいなのかは、わからない。
ただし、ガスライティングは、多くの職場で上司が部下を手なづける際に使われる常とう手段だ。
何の疑問もなくそうした支配的なふるまいが横行しているので、フジテレビの社長も会見で「1対1で密室に派遣する接待は許されない」とは言わなかった。
さて、こうしたメンタルの改革だけでは、フジテレビは立て直せないし、他局との差別化をはかれないだろう。
そこで、放送法の基本である公共の福祉という原点に立ち戻ってみてはどうか?
これまでテレビ局は、なんやかんや言うても、視聴率第一主義だった。
同じ時間帯に他局より視聴率の取れる番組を作る競争をしてきたのだ。
しかし、ネット配信の番組やSNSなど、スマホに使う意時間が増えた以上、テレビ局のライバルは、他局ではなく、スマホのはずだ。
それなら、視聴率ではなく、ネットでは見られない番組、それも高品質な番組を放送することを最優先の目的として仕事をしたらいい。
スポンサーが続々と逃げている以上、制作予算はかけられない。
そこで、ネットでも見られず、しかも高品質な番組を低予算で放送するには、ゼロから企画する自社制作の番組を減らすことだ。
その代わりに、自主制作の映画やDVDでしか出回っていない映画を放送してはどうか?
実際、劇場公開のための予算が少なかったために、品質が良いのに多くの人が見られなかった映画はたくさんあり、放送権も安上がりだろう。
僕の好みで言えば、江戸時代に島に漂流した男を描いた映画『漂流』を放送してほしい。
YouTubeでも見られないし。
最近なら、伊藤詩織さんが自分の被害について自ら監督した映画『Black Box Diaries』でもいい。
実際、低予算でも時間と手間をかけたドキュメンタリー映画には、劇場で見る人が少ないだけで、高い品質の作品が多い。
最近だと、日本の公立小学校でどのように日本人が作られるかを描いた映画『小学校~それは小さな社会~』という作品は、僕のように千葉県の片隅にいると、見るチャンスがない。
あなたの街で上映されなくて悔しいなと思った映画は、意外と多いはずだ。
そうした映画は、金儲けのために作られたわけではなく、何年もかけて丁寧に作られている。
テレビの仕事では作れない品質の高さは、「金儲けよりも現実をきちんと伝えたい」という気持ちによって担保されているのだ。
そうした気持ちこそ、本来、テレビ番組を作る人間に必要な条件ではないか?
それが理解できるなら、取材に必要な経費を削減してしまえば、番組の品質を守れないことにも気づくはずだ。
また、報道番組なのに、女性アナウンサーに現場取材をさせないという話もよく聞く問題だ。
元TBSアナウンサーの小島慶子さんは、週刊誌FLASHのインタビューでこんなふうに語っている。
「アナウンサーは社内では『所詮はテレビに出るだけの人たち』として、記者より一段低く見られることもあるのです。
放送は出演者がいなくては成り立たないのに、アナウンサーは決して社内で地位が高いわけではない」
日頃から男女平等の職場に変えるには、女性も取材記者として経験が積めるようにしてほしい。
原稿を読み上げるだけの人より、実際に現場で取材してきた人が話す方が、視聴者に対して信頼を担保できるのだから。
さて、あなたが今後、フジテレビで放送するなら、ぜひ見てみたいと思える番組は何だろう?
ちなみに、僕は全盲で生まれて三味線芸人として生きるしかなかった瞽女(ごぜ)さんのドキュメンタリーや、海外の自主制作映画も見てみたい。
一度、失った信頼は、「かなり変わったな」と視聴者から思われない限り、取り戻せないのだから。